早期停戦の働きかけなど

 石破 茂 です。
 ウクライナにおける武力行使の事態(違法化されている「戦争」ではない、国連憲章で認められている「集団的自衛権の行使」でもない、とすると佐藤卓己・京大大学院教授が指摘されているように「ウクライナ事変」と呼称すべきものなのでしょうか)は、開始後三カ月を経て、長期化の様相を呈しつつあります。
 日本国内の大方の議論は「我々はウクライナと共にあり、G7の一員として一致してロシアの暴虐な蛮行を許さない立場で行動する」というものであるように思われます。日本政府としてウクライナと共にあることを表明したのは当然ですし、ウクライナに物資を提供している以上、国際法における「中立」の立場にはありません。しかし一般メディアが「独裁者プーチンは悪魔」「ゼレンスキーは祖国の独立と民主主義を守る英雄」といった善悪二元論をふりかざすほど、無辜の民が殺傷されていく現状を止めることが難しくなっていきます。
 佐藤教授は「歴史家として私は『非ナチ化』を掲げる戦争を支持するロシア国民の心情を理解することはできる。むろん、理解はできるが共感などできない。ロシアの軍事侵攻を批判する一方で、日本に暮らす私たちが思いを致すべきなのは、かつて日本も現在のロシアと同じような過ちを犯してしまったという負の歴史だ」と述べておられ(月刊「潮」5月号)、これは極めて重い指摘だと感じます。
 大東亜戦争・太平洋戦争(東条内閣は昭和16年12月12日の閣議で「この対英米戦争は支那事変をも含め大東亜戦争と呼称す」と定めました。太平洋戦争という呼称は日本では戦争中使われていません)にあたって、日本は「五族協和」「八紘一宇」「東亜新秩序」という大義を掲げて戦い、多くの国民はこれを熱烈に支持しました。戦争には当事国の数だけの大義が存在し、その是非に決着をつけようとする限り、極限まで戦いが続くことを忘れてはならないと思います。
 中立の立場ではないにせよ、日本はNATOの一員でも欧州の一員でもなく、ロシアと直接対峙もしていません。大東亜戦争におけるわが国の振る舞い、終盤におけるソ連の振る舞いを経験した日本だからこそ、まずは戦闘を停止させることを優先すべきと国際社会に訴え、国際連合などの場を通じて人道的観点からの早期停戦に向け、国際社会が動くことを主張すべきです。
 停戦は終戦ではありません。勝敗や是非などの戦争の結果とは無関係です。当事国双方の合意条件や、戦争犯罪の取扱いは、むしろ戦闘行為が中断されてから時間をかけて議論されるべきものです。
 今まで「国連中心主義」という不可思議な目標を掲げてまで、国連による国際平和実現を信じてきた日本が、人道的観点を優先する国連による行動を促すのはある意味当然ではないでしょうか。1956年のスエズ動乱の際など、十分に参考に値する先例もあります。国連緊急総会による停戦勧告、国連の仲介による停戦合意の実現、停戦監視団の派遣を働きかけるべきです。

 

 竹森俊平・元慶大教授をはじめとする幾人かの方は、ロシア国民の心情について、ドストエフスキーの「カラマーゾフの兄弟」の中にある「大審問官の章」を採り上げて論じておられます。キリストと向き合うカトリックの高官である大審問官は「自由とパンとはいかなる人間にとっても両立しがたいもの」であり「もし人々が自由を与えられて、やがて食べるものが無くなれば、主人のもとに帰ってきて『飢えて今にも死にそうなときに自由が何の役に立つのか。どうぞ自由の代わりにパンを恵んでください』と言うだろう」と独白するのですが、ロシア国民の心情はこれに近く、プーチンのような強い指導者を求めている、との指摘です。この見方を敷衍すれば、仮にプーチンが倒れても、次もまた同様の、あるいはもっと強硬な指導者がとって代わるだけのこと、ということなのでしょうか。学生時代にドストエフスキーの著作に挑戦したのですが、あまりに登場人物も多く難解であったため、十分の一も読まないままに投げ出してしまったことを深く反省しています。
 2020年の憲法改正において事実上ロシアの国教と位置付けられたロシア正教も、今回のウクライナとの問題では大きな要素となっています。国家の指導原理であった共産主義が正当性や信頼を失った後、代わってそこに位置付けられたのが、ロシアにおいてはロシア正教、中国においては「中華民族の偉大な復興」「中国の夢」といった民族主義であり、それらが他国との軋轢の一因となっている、と理解しています。

 

 相当旧聞に属する話で申し訳ないのですが、昨2021年の出生数は前年を2万9786人下回る84万2897人と、6年連続減少の過去最低、婚姻件数も51万4242件と、これも前年比2万3341件減少の過去最低、ということなのだそうです。
 コロナ禍の影響も多分にあるのでしょうが、出生数はピークの3分の1、婚姻数は2分の1以下、というのは実に怖ろしい事態が進行しつつあるということだと思います。人口の増加、適正な金利、よりよい生活の指向(ゾンバルト流の言い方をすれば「贅沢願望」)は、資本主義を牽引する要素であり、これらが急速に失われつつあることに対する危機感を改めて感じています。これについては次回に改めて論じてみたいと思います。

 

 週末は、21日土曜日が自民党鳥取県連総務会、第67回定期大会、参議院選挙決起集会(午前11時15分~・とりぎん文化会館・鳥取市尚徳町)、自民党米子市河崎支部・彦名支部青木一彦参院議員国政報告会(午後6時半~・米子市文化ホール・米子市末広町)。
 22日日曜日は自民党鳥取県連街頭宣伝活動(午前7時半~八頭郡若桜町、午前9時~八頭郡旧八東町、午前10時~同旧郡家町・船岡町、午後1時~鳥取市)、公明党時局講演会(午後2時・とりぎん文化会館)、という日程です。
 参議院合区選挙区は、鳥取県の東端から島根県の西端までが東京・名古屋間よりも長距離の上、隠岐諸島まで含む恐ろしく広大な選挙区で、とても有権者一人一人と接することは出来ません。一票の価値の平等の重要性は十分に理解するのですが、有権者が候補者にアクセス出来る機会が人口の多い都会地と比べて格段に少ないこともまた事実です。「有権者が候補者にアクセスする権利」などという概念は憲法学上も存在しませんが、選挙中に候補者に接する機会が一度も無いということを避けるため、出来る限りの努力をしたいと思っています。
 選挙は勝ちさえすればそれでよいというものでは決してなく、主権者である国民に何を訴え、何を選択して頂くのかが一番重要であり、可能な限り「ユーザーフレンドリー」であるべきもので、政党や候補者の都合や利害は劣後して当然です。他の都道府県は知らず、少なくとも鳥取県においては県連会長の責任としてこの実現に向け最大限の努力をしたいと思います。
 5月も下旬となりました。皆様ご健勝にてお過ごしくださいませ。

 

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石破茂
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