狡賢くない「直滑降」こそ最良の選択!!〜「虚心坦懐」の言葉を胸に刻みながら努力する!!

2024年5月26日 午前10時。高崎の自宅からのブログ。 日曜日の今日も、朝から精力的に活動している!!が、公務はない!!(ふう)たまには、休まないと生産性が上がらない!! ずっと昔から「天邪鬼」だった気がする!!特に「長いものに巻かれる」のが嫌だった!!時の「権力者」に逆らうことが多かったので、政治家としての出世(初入閣)も遅かった!! が、ちっとも後悔していない!!その分、かなり奔放に発言し、自らの信じるままに活動して来たからだ!!「大臣や党幹部のポスト」を手に入れるための代償が、「言いたいことを我慢して、個性を殺される」ことなら、「大臣なんてなれなくてもいい!!こちらから願い下げだ!!」と、ずっと思っていた!!  例えば、自民党の若手参院議員だった時代、所属していた「清和政策研究会」(森派)の森喜朗元首相と、しょっちゅう対立していた!! いや、「喧嘩」などという表現は、おこがましい!!当時、相手は横綱で、こちらは幕下だった!!が、にもかかわらず、森元首相が本気で怒るので、両者の確執(?)は、よくメディアにも取り上げられていた!! その頃の森会長の側近たちは、「山本一太を本気で相手にすればするほど、向こうを目立たせることになる!!相手の思う壺です!!いちいち、目くじらを立てない方がいいですよ!!」と助言していたようだ!! が、とにかく感情的で、人間臭い森さんは、聞く耳を持たなかったらしい!!(苦笑) 清和政策研究会は、小泉政権下で全盛期を迎えていた!!約90名(?)の議員が所属していた記憶がある。毎週木曜日の昼食会では、森会長から、大勢の仲間の皆の前で何度も名指しされ、叱られた!! 「山本君、分かるだろう?!君のことだ!!もうテレビで俺の悪口をいうのはやめろ!!」と。(笑)「あの、『直角』(「直滑降」のこと)とかいうブログもけしからん!!」とも!! 思い起こすと、こんな場面に遭遇しても、毎回、お弁当を食べながら、「キョトンとした表情」でスルーしていた!!我ながら、相当に心臓が強いと思う!!(笑x2) そんな時、いつも庇ってくれたのが、青森県選出の木村太郎衆院議員(故人)だった!!早逝したのが、本当に残念だ!!(涙) 実は同時期に、参院自民党でも「孤軍奮闘」の日々を送っていた!!参院のドンと言われた村上正邦幹事長、青木幹雄幹事長と、続けて対決していた!!テレビのワイドショーで、公然と青木幹事長(当時)を批判したこともあ続きをみる

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