橋本龍太郎内閣総理大臣(当時)の街頭演説、県警は本当に大変

1996年10月におこなわれた衆議院議員総選挙で、自由民主党は愛知四区において塚本三郎候補生(当時69歳)を公認候補として戦った。結果は新進党の三沢淳さんに9,152票差という僅差で惜敗。この4年後、塚本三郎先生は政界を引退している。

さて、1996年の衆議院総選挙で塚本三郎候補の必勝を期した自民党本部は、当時、内閣総理大臣(自民党総裁)をつとめていた人気絶頂の橋本龍太郎総理の投入を決定。急きょ、南区港東通の塚本三郎事務所前で橋本龍太郎総理の街頭演説を行うことを決めた。当然のことながら第四選挙区支部は一気に活気づき、これをてこに劣勢を一気に挽回したいと考えた。

自民党南区支部長を務めていた私は、直ちに南警察署と総理警護について調整を始めたが、当初、南警察署担当者は相当及び腰。「突然、勘弁してくださいよ。もし何かあったら県警本部長までクビが飛びますから。」しかし、すでに総理の南区での遊説が決定済みであることを伝えると警護について本格的に準備が始まった。

総理が何時何分にどこから入り、どこから出ていくのかなど総理の行動経路を入念にチェック。また、総理に対して銃撃された場合を想定して、防弾シートの設置位置や万が一の場合の総理の身の隠し方まで細かな指示もいただいた。総理のまわりには公職者(地方議員)が取り囲み不信な人が総理に近づくことがないよう、また、公職者や政党スタッフの胸にシールを貼りSPから識別できるようにしてほしいこと、また、街頭演説が終わった後は聴衆との握手は避けてほしいなど、入念なチェックをおこなった。

橋本総理の街頭演説は南警察署との事前の打ち合わせ通り何ら事故等なく順調に進んだが、所轄の警察署のご苦労を身をもって感じた。今から思えば突然の総理の遊説、本当にご迷惑をおかけした。

さて、今回の安倍晋三元内閣総理大臣の銃撃については、現職の内閣総理大臣と元職との違いはあるものの、突然の元総理の遊説でもあり相当、警察関係者が混乱したことは容易に想像できる。ただ、銃撃を避けることはできなかったのか、改善すべき点はなかったのかなど、十分な体制・対応の見直しは必要だろう。

一方で、この事件によって要人の街頭演説が困難になったり、住民との対話の機会が奪われたりするなど、行き過ぎた抑制が働くことが心配だ。日本人はまわりとの「同調」の傾向が強い分だけブレが大きく、一気に国民感情が動くことがある。私自身今回の事件に対しては全く冷静になれない自分がいる一方で、いかに有権者の皆様との距離が離れることがないようにしていくのか、大きな課題を投げられた思い。ご冥福をお祈りいたします。
PR
横井利明
PR
minami758をフォローする
政治家ブログまとめ