週末、政府は日本銀行の黒田総裁の後任に植田和男元審議委員を起用することを固めたとの報道があった。
植田教授は過去にも日銀審議委員を務めてこられた訳だが、その足跡と発信を追ってみた。植田和男氏は、もともとは東京大学教授、学者でありながら、1998年4月に日本銀行審議委員に就任し、ゼロ金利政策、量的緩和政策など、速水総裁時代の非伝統的な金融政策の決定に携わった。
植田氏が審議委員として注目されたのは、2000年8月のゼロ金利解除に、もう一名の審議委員(中原伸之氏)とともに反対したときである。
https://www.boj.or.jp/mopo/mpmsche_minu/minu_2000/g000811.htm
植田氏は2005年4月に日本銀行審議委員を退任すると、東京大学に戻り、その後、日本経済学会会長を務めるなど学術界で活躍。現在、共立女子大学の教授である。
日本の金融政策に対する考え方については、審議委員時代、学者時代と、講演録や論文など、文章として残っている。
以下、少し紹介する。例えば、2000年8月に反対票を投じたゼロ金利解除については、2001年9月の福島での講演「流動性の罠と金融政策」で、当時の反対を回顧している。
この中で、植田氏は反対票を投じた当時、適正金利水準を試算するとマイナスであり、それが反対した理由だとする。
一方、植田氏は前提を大きく変えれば当時の適正金利の水準をプラスに導くことも可能とし、適正金利水準の算出の難しさに言及した。
https://www2.boj.or.jp/archive/announcements/press/koen_2001/ko0110a.htm
また、日本経済学会会長講演に加筆修正した論文「非伝統的金融政策の有効性: 日本銀行の経験 」(2012年)では、サブプライム危機やリーマンショック以降の日本銀行の金融政策を分析している。
この論文の中で、植田氏は、日本銀行の政策は一部では金利などの資産価格に影響を与えたと指摘している。
一方、日本経済はデフレから脱却できなかったことから、これらの政策は力不足であった。そして、この背景を考察しつつ、「 日本経済は何らかの外部要因によってしか停滞した「均衡」から抜け出せないという状態にあ るように見える。」とまとめ、金融政策の限界を指摘している。
2016年1月以降、日本銀行が採用するマイナス金利については、2016年2月17日朝日新聞17面「マイナス金利功罪」の中で、さらなる利下げもあるかもしれないが、今後の日本銀行に残されたカードは少なく、日本銀行にとって苦境が続くとした。
また、2018年8月20日日本経済新聞経済教室「日銀 出口への難路(上) 緩和効果・副作用の相反 焦点」では、長短金利操作やETF購入などの日本銀行が取り組んでいる副作用に懸念を示しつつ、追加緩和手段の底がつきつつあるとする。
一方、2022年7月6日の同紙経済教室「日本、拙速な引き締め避けよ 物価上昇局面の金融政策」では、円安回避のための金利上昇は景気悪化を招くとする一方、世界経済の減速が金融政策の政策変更の重荷になるとしている。
このように、植田氏は自らが考える日本銀行の政策について、発信を続けてきた。
ゼロ金利解除に対し、中原審議委員とともに反対票を投じたところは、リフレ的な立場をとっているようにも見えるが、その後の講演では、当時の日本銀行の決定に理解を示しているようにも見える。
また、現状についても、円安に対し、金利引き上げは悪手とする一方で、金融政策が残された手段は限られるとする。
さらに、日本経済が停滞から抜け出すためには、金融政策というよりは何らかの外部的な要因が必要とするなど、金融政策の限界を論じている。
このように見ると、植田和男新総裁が率いる日本銀行については、国会が、また、国民が、しっかりと監視をし、「限界だから何もしない」とならないようにしていくことが必要だ。
以前、主張したように、イールド・カーブ・コントロールは金融機関のための政策であり、限界に直面している。今必要な政策は、金利の操作ではなく、年限の長い30年債や40年債を、インフレ目標が安定的に達成されるまでの間、大胆に購入を続けることだ。
「何もしない」は、許されないのである。
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