石破 茂 です。
今回の内閣・党役員人事について、世間の評価は概ねかなり厳しいようですが、支持率の向上が政治の自己目的ではありませんし、スタートしたばかりであれこれ言ってみても始まりません。派閥のバランスを重視したとしても、年功序列だとしても、「この政策を実現するためにこの人を選んだ」ということがやがて明らかになればそれでよいのです。
「派手さに乏しいこの内閣で解散は出来ないが、今回の人事は大派閥の意向を汲んで総裁再選を確実にするためのものであり、本格的な人事と解散総選挙は来年9月の総裁選以降になるのではないか」とか、「支持率は上がらないが、野党の態勢が整わないうちに早期解散があるのではないか」等々、永田町界隈では様々な観測が飛び交っています。真意を知る由もありませんが、すべからく政治家たる者、主権者である国民に対する畏れ(怖れ)の念だけは失ってはなりません。
まもなく衆議院議員の任期も半ばを過ぎますので、いつ解散総選挙があってもよいように備えねばなりませんが、国民の判断を仰ぎ、信を問うのであれば、防衛費増額と異次元の少子化対策の財源だけは示さねばなりません。2017年の「国難突破解散」のように、スローガンを掲げて感情に訴える形で解散・総選挙を行うことは、与党の矜持として避けるべきものと思っております。ジャニー喜多川氏の性加害問題は、国際的にも極めて重大です。今年7月に来日した国連人権理事会ワーキンググループは記者会見において「エンターテイメント業界をはじめとする日本の全企業に対し、積極的に人権デューデリジェンス(強制労働などの防止に向けた取り組みの実効性や対処法についての説明と情報開示)を実施し、虐待に対処するよう強く促す」と述べています。欧米ではこのような人権侵害は重大な犯罪として加害者のみならず関係企業などの責任も厳しく追及され、加害者に口座を提供したり、融資を行った銀行が訴訟において日本円で百億円単位の和解金を支払うことに合意したケースもあり、日本とは意識が全く異なると言わざるを得ません。
藤島ジュリー景子社長の辞任に一定の評価もあるようですが、「社長」は法的に位置付けられた存在ではなく、同氏が代表取締役に留まり、全株式を保有し続けるのであればこれは単なる偽装と言われても仕方ありません。被害者に対する金銭的支払いの額はどのように算定されるのか、行為の重大性に鑑みて時効はいかなる法理論によってどこまで延長されるべきか、ジャニーズ事務所の存続の可否、タレントの移籍に対する法的な措置等々、政治としても対処すべきと思われる課題は数多くあります。
所属タレントであった故・北公次氏が1988年に出版した著書においてジャニー喜多川氏の性加害行為を告発した際も、文藝春秋との名誉棄損裁判で同氏の性加害行為が公に認定された際も、ジャニーズ事務所に対する忖度からなのか、大手メディアはほとんどこれを黙殺しました。これらの時点で仮に大きく報道されて社会問題化し、喜多川氏が制裁を受けるようなことになっていれば、少なくともそれ以降の被害は防げたはずですが、同事務所所属のタレントを使い続けたメディアやスポンサーの責任はどのように問われるのでしょうか。
権力が暴走し、組織内のチェック機能(議会や取締役会など)が自己保身によって働かず、メディアがそれに対する批判を控えれば、やがて組織は決定的に崩壊し、人々が塗炭の苦しみに陥ることになります。ジャニーズ事務所やビッグモーターの問題は単なる一企業の問題ではなく、日本社会に突き付けられた問題なのだと思っておりますし、われわれ自民党も決してそうならないよう、批判や誹謗中傷にくじけることなく、内部からのさらなる改革の努力を続けていかなければなりません。日本食糧新聞社の業務用加工食品ヒット賞等の表彰式、ラーメン産業展、肥料商年次大会等、今週は多くの食糧関係の会合に出席致し、スピーチをして参りましたが、改めて食糧安全保障について考える機会となりました。
自給率を計算する際の分母は、国民が餓死することのないカロリー水準におくべきものであって、大量の食品残渣が発生し、贅沢三昧とも言うべき食生活を基にするのでは指標たる意味を失います。そのような「自給率」を政策目標としている限り、食糧安保の議論自体が歪んだものにならざるを得ません。シェルター整備などの国民保護政策を十分に講じ、それを前提としていない防衛政策も類似の構造であるように思われてなりません。まだまだ果たさねばならない責務の膨大さを思うとき、自分の努力不足と残された時間の短さに、焦りが募るばかりです。来週は9月も後半に入ります。一年の四分の三が過ぎようとしていることに愕然とする思いです。
まだ残暑が続いております。皆様ご健勝にてお過ごしくださいませ。