石破 茂 です。
丸山穂高議員の問題は今週もなお尾を引いています。週刊誌に報道された暴言や行動などが仮に事実とすれば、議員以前に社会人としての常識を著しく欠いたものと断ずる他ありませんが、前回も触れたように、社会の指導層(エリート、という語は使いません)たらんとする人材を育てるはずの経済産業省や松下政経塾での教育は一体どのように行われていたのか、疑問に思わざるを得ません。そこに所属する人すべてが優秀、というわけにはなりませんが、どこかの時点で最も基本的な教育が欠落していたのではないでしょうか。
小選挙区制導入の原点のひとつには、「世襲、高位の官僚、資産家などでなくとも、能力と意欲のある人材を政党が資金と選挙で全面的にバックアップして国会議員にする」ことがありました。私自身、三井銀行で自分より遥かに優秀な同僚や先輩に多く接しましたが、「この人たちは三井銀行で重役になることはあっても議員になることはまずないのに、我々は親の築いた知名度と信用で議員になる道が開けている。これはどこかおかしいのではないか」と思ったものでした(もっとも亡父は「国家を支えているのは議員や官僚ではなく民間人である」とよく口にしておりましたが)。
世襲を全面的に肯定するつもりは全くありませんが、政治家の倅であったことによって会得したものは多くあります。私の両親は公私の区別に極めて厳格で、父が知事であることを私が少しでも笠に着るようなことがあれば激怒したものでした。幼少の頃、知事公舎に用務で来た県庁職員に私がぞんざいな口をきいたとき、厳寒の戸外に放り出され、泣いて詫びても家に長時間入れてもらえなかったことを今でもよく覚えています。仕事は常に峻烈であり、県民には決して卑屈になることなく真摯に、謙虚に接する。政治に携わる者の在り方の多くは両親から学んだものですが、まだまだその域にはとても達していないことを反省するばかりです。
小選挙区制度の導入によって、中選挙区制の下では出てこなかった議員が多く登場するようになりました。もちろんその中には優れた人も多くいますが、その優れた人たちは中選挙区制度の下でもいずれは議員となったのかもしれません。中選挙区制は「支持する党を選んだ後、人を選ぶ」という制度でしたが、サービス合戦になって多額の金がかかる、国家の利益よりも地域の利益が優先される等々、短所を強調するあまりに、その長所を看過していたことは否めません。
小選挙区制下で当選した議員が圧倒的多数となった現在、今回の問題は小、中、両制度を止揚すべく選挙制度をもう一度考え直してみる機会になるように思います。お考えがあればご教示くださいませ。
今週BS-TBSの番組でご一緒した、比較政治学がご専門の高安健将教授(成蹊大学)の所論からは多くのことを学びました。
7条解散を明確に憲法違反と断ずることは出来ないが、同条に基づいて衆議院を解散して「国民の声を聞く」からには、国民に対して判断するに足る十分な時間と情報が提供されるべきである、というのは誠にその通りと思いました。解散の意義、国民に判断を仰ぐ争点について国会の予算委員会や本会議で必要な討論がなされ、憲法上解散から投票まで最大40日と定められている期間を最大限に活用するのは、「政権のための解散」ではなく「主権者である国民のための解散」を実現するために必要なことと思います。「解散は総理の専権事項」という常套句を所与のものとして、深く考えてこなかったことを反省しております。
各種団体の総会シーズンで、振興議員連盟の会長を務める建築板金業や左官業の総会出席のため、先週は高知、今週は京都に行って参りました。高い技能を持ち、現場でひたすら努力しておられる皆様に信頼していただくことは自民党にとって絶対に必要なことと信じます。週末は、鳥取県人会総会や講演のため、愛知県、鹿児島県に参ります。都心は週半ばから初夏の陽気となりました。
皆様ご健勝にてお過ごしくださいませ。