石破 茂 です。
会期延長が取り沙汰される中、今週も永田町界隈では挨拶代わりのように「衆参時選挙はあるのか」という会話が交わされました。
何度か指摘しているように、本来の解散・総選挙について規定しているのはあくまで憲法第69条の「内閣は、衆議院で不信任の決議案を可決し、または信任案を否決した時は10日以内に衆議院が解散されない限り、総辞職をしなければならない」というのが原則で、第7条に列記されている天皇陛下の国事行為の中の一つである解散に「内閣の助言と承認」を必要とする、というのは、政治的な行為をなさらない天皇陛下による解散を行われるにあたっての形式要件を規定したものと解するのが自然でしょう。
国会閉会中でも衆議院解散は可能、とするのが政府の見解ですが、会期延長と解散が絡めて論じられるのは「国会開会中に衆議院が示した意思が内閣の意思と異なった場合、国民に判断を仰ぐ必要が生じる」からであるとされています。そうであるとすれば、衆議院において「衆議院の意思と内閣の意思が異なる」ことが明確にならなければなりませんが、与党が安定多数の議席を持っている場合、そのような事態は考えにくい、ということになります。この前提においては、選挙の際の公約を果たすため、与えられた四年の任期を全うするのが国民に対する責任であると考えます。
自民党の先人である故・保利茂元衆院議長は、第69条に明記されている場合に加えて、「予算案や、国の行方を左右する内閣の重要法案が否決されたり審議未了になったりしたとき」「その直前の総選挙で各党が明らかにした公約や政策とは質の異なる重要な案件が登場し、国民の判断を求める必要が生じたとき」に限り、7条解散が許されるとの見解を示され(1979年・保利衆院議長見解)、故・宮澤喜一元総理は「解散権は好き勝手に振り回してはいけない。あれは存在するが使わないことに意味がある権限で、滅多なことに使ってはいけない。それをやったら自民党はいずれ滅びる」と語っておられたそうですが(出典未確認)、この言葉の持つ重さと恐ろしさを感じます。先日BS番組でご一緒した高安健将・成蹊大教授は、「解散して国民の判断を仰ぐ場合には、国民が判断するに必要な十分な情報と時間(解散から投票までは40日以内。公職選挙法第31条第3項)が与えられるべき」と述べておられましたが、これもまさしく然りと思います。
衆議院において与党が多数を占めている以上、不信任案は淡々と否決すればよいのであって、不信任案が提出されたこと自体が解散の理由となるというのは論理的にはおかしなことですが、一方において立憲民主党幹部からは不信任案提出や解散に肯定的な勇ましい発言も聞かれます。戦う相手が与党ではなく、対立する他の野党であるという思惑があるとすれば、政府・与党を批判する資格はありません。いずれにしても、最高裁が統治行為論を用いて7条による解散を否定していない以上(苫米地事件最高裁判決 昭和35年6月8日)、総理がその気になれば誰も解散を阻止することは出来ません。
今回改選される参院議員の任期は7月28日までであり、投票日にもよりますが、仮に同時選挙となれば国会議員が参議院議員の半数しか居ないという事態がしばらく生じ、危機管理上決して好ましいものではありませんし、国民に信を問う、と言っても「投票してもどうせ何も変わらない」という国民の諦め感の広がりが無関心・低投票率に繋がっている面も否定できません。
政府・与党と野党の様々な思惑が交錯して、会期末まで緊迫した状況が続きますが、主権者である国民に対する怖れの気持ちを決して失うことなく日々を過ごしたいと思います。元農水事務次官による子息の殺害事件を「いかなる理由があるにせよ許されないこと」と断ずる報道もありますし、確かに殺人を肯定することはあってはならないことです。しかし「このままでは川崎市の事件のようなことが起こりかねない。社会に迷惑はかけられない」と元次官が思い詰めるに至った事情もよく考えねばなりません。父親が事務次官や特命全権大使として功成り名遂げ、外からは羨まれる家庭であっても、窺い知れない深い悩みはあるものですね。多少なりとも元次官を知る者として、また容易に答えが見つからないだけに、懊悩は深まるばかりです。
本日7日金曜日は自民党鳥取県連選挙対策本部(午後1時半・自民党鳥取県連)、日本新聞協会論説責任者懇談会総会で講演(午後5時・ホテルメルパルク広島)に伺います。
8日土曜日が鳥取県看護連盟通常総会(午前10時・米子コンベンションセンター)、近畿税理士政治連盟会員研修会で講演(午後3時・国民会館・大阪市中央区)。
9日日曜日は故・島田三郎参院議員合同葬(午後2時・安来市総合文化ホール)という週末の日程です。東京も梅雨入り間近との予想です。皆様ご健勝にてお過ごしくださいませ。