石破 茂 です。
再来週は予算委員会に於いて第二次補正予算の審議が行われる見込みです。早期成立を期すべきことは当然ですが、使途につき国会審議を経る必要のない予備費10兆円は、財政民主主義の観点から議論の余地があります。
財政の持続可能性については、消費税が果たすべき役割の変化(格差の拡大という背景)、グローバリゼーションを前提とした法人課税の在り方、一人一人の幸せの実現を志向した社会保障制度の再検討(特に医療制度)等が必要です。
官の一貫した価値観は公平性と公正性ですが、現下の非常時にあっては迅速性と簡便性がそれに勝るのであり、その責任を負うことこそが政治の役割であることを十二分に承知した上でそのように考えております。
プロレスラー・木村花さんの訃報には言いえないやりきれなさを感じます。報道によれば、SNSを通じて彼女を攻撃した投稿者が、身元が判明するのを怖れてそのツイートを削除しつつあるとのことですが、自分の身元が明らかにならなければどんなに他人を攻撃しても構わない、という考え方は何故形成されてしまったのでしょうか。「お前は悪くて勉強が足りない。自分は正しくてよくモノを知っている」という、この種の投稿に共通した文体にも嫌悪感を覚えます。
SNSを使った誹謗・中傷であっても、名誉棄損罪や侮辱罪の構成要件に該当すると思われます。実際に起訴・裁判に持ち込むのは困難でも、「これは犯罪である」ことを明確にする必要があります。
責任の全く伴わない自由、などという概念はそもそも存在しません。不正を糾すための匿名の告発などは公益目的のために許容されても、人を傷つけるような言論や通信の秘密を害することは憲法で保障されるものではありません。自由と人権の両立を図るべき、と言うのは簡単ですが、いかなる立場の人のいかなる自由であり人権なのか、より重視されるのはどの価値観なのか、をはっきりさせなくてはなりません。
テレビ局もしかりです。視聴率がとれるならどんな番組を作ってもよいわけではありませんし、スポンサーや広告代理店も全く知らぬ顔を決め込むとしたら無責任の謗りは免れません。
私は「テラスハウス」という番組を見たこともありませんが「台本の無いリアリティ番組」で、いわゆる「やらせ」や演出などはないことがセールスポイントだったそうです。試合用の衣装を洗濯して縮ませてしまった同居男性に罵詈雑言を浴びせる彼女の姿に「許せない!死ね!消えろ!」などという批判が殺到したとのことですが、制作側のテレビ局の責任も当然自社内で追及されなければなりません。「台本はなかったがストーリーはあった」とは一体何のことなのか。それでは一種の欺罔行為に近いのではないでしょうか。「ご飯論法」などと批判する資格すらありません。検証は是非とも行なうべきですし、テレビ局がやらないのなら、民放連が行えばよいのです。
木村花さんは、さらなるスターとなることを夢見て、幾多の辛いことにも耐えてきたのでしょう。この悲劇を繰り返さないために、何が出来るのかを考えております。
28日木曜日、衆議院憲法審査会で発言の機会がありました。新聞報道によれば私が国会で発言するのは、地方創生大臣として最後に答弁して以来4年振りとのことです。発言したこと自体が記事になったことに驚きつつ、内容についてはあまり報道が無かったのですが、以下にその原稿を載せておきますので、ご関心のある方はご覧ください。時間の制約上、このすべては発言出来なかったことをお断りしておきます。
来週はもう6月です。今日の都心は久しぶりに爽やかな晴天の一日でした。
徐々に世の中が平常を取り戻していくことを心より祈っております。
皆様ご健勝にてお過ごしくださいませ。
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