石破 茂 です。
「冷戦期のバランス・オブ―パワーによって封印されていた領土・民族・宗教・政治体制・経済間格差という戦争の要因が全て顕在化したのが冷戦後の時代である」というのが、私の冷戦後の基本的認識でした。同時に「抑止力の効かない相手との戦いの困難性」も指摘してきたのですが、その際に念頭に置いていたのはテロリスト集団でした。
今回、私自身も含め、多くの予測が外れたのは、プーチン大統領に対する抑止力の認識を誤っていたからだと思います。
2018年のテレビ番組でプーチン大統領は「ロシアが存在しない地球は考えられない」という趣旨の発言をしていましたが、今回の行動を踏まえると、かつて金正日が「北朝鮮のない地球などない方がいい」と発言した、といわれたことに重なるようにも思われます。核兵器を保有する国連安保理常任理事国であるロシアが北朝鮮のような瀬戸際外交を展開するとは、よもや考えてもみなかったことを反省しています。ウクライナに対するロシアの軍事的侵略を、国連総会など広く国際社会において最も強く非難するべき立場にあるのは我が日本国です。
昭和20年8月8日、日ソ中立条約を一方的に破棄して日本に宣戦布告、翌9日から満州において軍事作戦が開始され、これは日本のポツダム宣言受諾、降伏文書への調印意思の伝達、停戦命令と武装解除後も続き、樺太の戦いでは日本軍人・民間人2000人が死亡、8月20日には樺太から本土に疎開する女性や高齢者を多く含む人々を乗せた3隻の船がソ連潜水艦によって撃沈され、1708人が死亡しました(三船殉難事件)。
また、戦後57万5000人がシベリアに抑留され、満足な食事も与えられず酷寒と過酷な労働で5万8000人が死亡しています(これは兵隊の家庭への帰還を保証したポツダム宣言に明らかに反するものです)。
そして今日もなお北方四島は不法占拠されたままです。
条約を一方的に破棄し、大量の虐殺を行い、領土を不法占拠するロシア(憲法改正により、ロシアは憲法上もソ連の継承国であることが明確に定められました)の非道を、最も強く訴えてウクライナ国民と連帯するとともに、日本の主張や立場の正当性を国際社会に知らしめねばなりません。
ソ連の働いた国際法無視・残虐非道の行いは学校でもほとんど教えてきませんでしたし、敗戦から77年が経過して記憶もほとんど風化しつつありますが、我々は今回の侵略を機にこれを学び直さねばなりません。近・現代史を学ぶことの大切さは、アジア諸国との関係だけに言えることではないと痛切に思います。それとは別に、今後の推移に備えるためにも、ロシア側の一連の主張には可能な限り目を通しておく必要があります。
「NATOの拡大はNATO諸国にとっては地政学的利益であっても、ロシアにとっては死活的な問題である」というのは、ほぼその通り考えていると思ってよいのでしょう。ドイツ統一の時にNATO側から不拡大の方針が示されたかどうかについては置くとしても、当時、NATOの東方拡大に熱心であったキッシンジャーに対し、軍事戦略の大家であるジョージ・ケナンが強い反対論を唱えていたことは、今後の国際安全保障関係を考える上でも重要な点だと思われます。
プーチン大統領の述べた「ソ連の崩壊は20世紀最大の地政学的悲劇であった」との言葉も、そのまま彼の意識の中核にあると考えていいと思います。ロシアにとって「強い軍隊」「強い指導者」「緩衝地帯」「不凍港」が必要なことは、今も昔も全く変わるものではありません。プーチン大統領の判断力に、最近よく疑義が指摘されますが、相当以前から周到に準備し、経済制裁も、国際的な孤立も織り込み済みで、敢えて今回の行動に出たという可能性も排除できないと思います。
我々も長期戦と相当の代償を覚悟し、やるべきことを一致してやらねばなりません。多くの情報が交錯して、何が真実なのかを見極めることが極めて困難な時代となりましたが、イラクがクウェートに侵攻した湾岸戦争(1990年)に参戦することに否定的だったアメリカ世論が一転、賛成論に傾いたのは、下院の公聴会における15歳の少女ナイラの証言でした。
クウェートの病院でボランティア活動に従事していた彼女は、「イラク兵は、保育器に入れられた乳児を取り出して床に投げつけて殺した」などといった残虐行為を証言したのですが、その後、彼女は駐米クウェート大使の娘であり、一度も故国に行ったことはなく、証言内容も虚偽であったことが判明しました。
イラクの行為の非道さの象徴として原油にまみれた水鳥の写真が多く使われましたが、これも後にアメリカの攻撃により流れ出した重油によるものであったことが判明しました。
2003年、イラクの大量破壊兵器の存在を理由としてイラク戦争が開始されましたが、これも虚偽であったことが後に判明しています。
このように情報の操作によって世論が大きく左右されること、インターネットやSNSなどの発達によってそれがさらに飛躍的に拡大しつつあることを、ウクライナ側もロシア側も相当に留意して発信している印象があります。イギリスのジョンソン首相がロシアの国連安保理常任理事国解任を議論する用意があると報ぜられていますが、国連の本質を理解するうえでも有益なものと思います。
昭和47年、佐藤栄作内閣の防衛庁長官であった西村直己代議士(内務官僚出身)が記者会見で「国連は田舎の信用組合のようなものだ。中共が入ればもっと悪くなるかもしれない。モルジブのような土人国だって一票を持っている」と発言して罷免されたことがありました。侮蔑的な発言として許されないものであることは確かですが、当時中学三年生だった私は妙にこれが気にかかったのをよく覚えています。
「国連」について、日本人はあたかもInternational Government(世界政府)であり善意の組織であるかのような感じを抱いていますが、これはUnited Nationsを「国際連合」と訳したことにも一因があります。本来は「連合国」(第二次世界大戦戦勝連合国)であり、中国ではそのものズバリ「联合国」です。
1939年、フィンランドを侵略したソ連は国際社会から大非難を浴びて国際連盟を除名されていますが、国際連盟の成立とその失敗、国際連合の成立(国際連盟の継承組織ではありません)とその歴史は、憲章条文の解釈と共に我々が今学んでおかねばならないことです。
国連はそもそもの成立から集団安全保障の組織を志向しましたが、集団的自衛権の行使を基礎としながら集団安全保障的な色彩を持つようになったNATOについても、この際よく学んでおかねばなりません。「集団的自衛権を全面的に認めることはアメリカの戦争に加担する危険なもの」「アジア版NATOは中国を敵視するもの」などという今までの画一的な議論は、この際もう一度よく見直すべきです。2日水曜日に開催した勉強会では、私から「ウクライナと台湾」について一時間弱お話しさせていただき、その後質疑応答を行いました。58人もの議員の参加を頂き、活発な質問を頂きましたことに、心より感謝しております。水月会をグループ化した際に申し上げた政策研究の深化に向けて、さらに努力を重ねたいと思っております。
三月となりました。皆様ご健勝にてお過ごしくださいませ。