日本初の公害「足尾銅山鉱毒事件」に挑んだ明治の偉人「田中正造」について

昨年、関根ジロー後援会は「田中正造を学ぶバスツアー、渡良瀬川流域編」を開催しました。その後、田中正造を学ぶバスツアーの第二弾として「足尾銅山編」を開催する予定でしたが新型コロナウイルス感染症の影響で、開催できない状況が続いています。そんななかで2021年1月18日の毎日新聞に「田中正造」に関する記事を掲載されていましたのでご紹介します。記事URLはコチラです⇒https://mainichi.jp/articles/20210118/ddm/001/070/044000c↓↓↓国会議員の歳費をめぐる論争は、戦前からあった。帝国議会開設から9年後の1899(明治32)年、足尾鉱毒事件の追及で知られる衆院議員、田中正造(しょうぞう)が歳費引き上げに反対し、受け取りを辞退したことがある▲当時の山県有朋(やまがた・ありとも)内閣は増税のため議会抱き込みを図り、歳費を2・5倍にしようとした。田中は演説でこれを「賄賂(わいろ)的」だと批判し、引き上げ分だけでなく全額を辞退続きをみる

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