旧産炭地での党の100年

 今日は党南空知地区委員会の、党創立100周年記念講演。私が党の100年を語るなんておこがましいと思いつつ、大先輩・野呂栄太郎を輩出し、炭鉱をはじめとしたたたかいの歴史も振り返りながら、次なる一歩を踏み出そうと呼びかけました。

 講演を準備するなかで、多くの再発見がありました。野呂の不屈性とヒューマニズムが、科学的社会主義に裏打ちされたものであること。移住して何年もかけて、党議席を獲得してきた歴史。地域や職場に根づいた党活動で、清濁併せ呑む努力があったこと。旧産炭地を抱える南空知だからこその熱い思いや粘り強い取り組みが、過去の資料から伝わってくるのです。

 北海道の党は戦後、苗穂刑務所から解放された村上由(ゆかり)らによって再建されました。解放23日後、村上が向かったのは大夕張炭鉱。産炭地こそ北海道の歴史を語るには欠かせません。北海道の産業遺産や観光ルートとして位置づく「炭鉄港」で、どこでも党のたたかいが記録されているのです。

 私自身は入党31年。この前後の数年間は天安門事件から東欧・ソ連の崩壊と続く、激動の時代でした。信頼できる先輩の存在と、侵略戦争反対を貫いてきた党への思いが重なっての入党でしたが、党の主張などを話せる自信も勇気もありません。学ばなければ足を踏み出せない、そんな時代でもありました。

 選挙の手伝いで電話かけならできると、いただいたテレデータ。見ると、先におこなった方のメモがあって×××‥‥と記されています。〇は20軒に1軒もあるかないか。始める前から戦意喪失状態でしたが、粘り強い対話を積み重ねて日本共産党は大きくなったんだなと、たくさんついた×から学びもしたのでした。

 党活動は楽しいことばかりではないし、自分の思うとおりにならないことにも、何度も直面します。それは、日本社会を根本から変えるための党にいるからこそ。野呂栄太郎は「苦しみのうちにこそ楽しみがある」と言いましたが、漂流した生き方でなく、社会を前へ進める生き方をしていることに誇りをもちたい。

 新型コロナへの無為無策を続け、物価高騰は放置する一方で、軍備増強には熱心な岸田政権。国民多数が反対していても法的根拠のない国葬に突き進み、統一協会との深刻な癒着は底なしのまま全体は明らかにされていません。今こそ日本共産党のがんばり時。来年4月の地方選も、大きな転換点になるはずです。

 帰り際に「やっぱり、たたかいの歴史だったんだね」と、ベテラン党員さんが前を向きながらポツリ。心一つにがんばろうと語り合った機会となりました。

 【今日の句】懐かしさ 合わせ明日への 力にと
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畠山和也
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