石破 茂 です。
16日月曜日、共同通信の「マックス・ウェーバー没後百年記念企画」で姜尚中・東京大学名誉教授と対談する機会を得、大学1年生の時以来、本当に久しぶりに「職業としての政治」を読み返しました。
1919年、ミュンヘンにおける学生に対する講演録ですが、有名な「自分が世間に対して捧げようとするものに比べて、現実の世の中が自分の立場から見てどんなに愚かで卑俗であっても、断じて挫けない人間。どんな事態に直面しても『それにもかかわらず!』と言い切る自信のある人間。そういう人間だけが政治への『天職』を持つ」という最後の1節は、今になってより一層心に響きます。己が「断じて挫けない」のか、「それにもかかわらず!」と言い切れるのか、改めて自問自答したことでした。
故・仙谷由人氏が菅内閣の官房長官であった当時、参議院予算委員会で「自衛隊という暴力装置」という表現を使って批判を浴びた際に、野党自民党の政調会長であった私は「この人はマックス・ウエーバーを読んでいるのだな」と思いました(私自身、仙谷氏のこの発言の前に出した清谷信一氏との共著の中で同じ表現を使いました)。本を多く読めばよいというものでもありませんが、自分の知らないことを少しでも減らし、思考の幅を少しでも広く持つ、というのは政治に携わる者にとってやはりとても大切なのに違いありません。習近平・中国国家主席を国賓として招くことに賛否両論がありますが、総理が表明された以上、今更これを覆すことには私は反対です。
中国と対立するアメリカがどう反応するかを心配する向きもあるようですが、いちいちアメリカの顔色を窺っていても仕方ありません。きちんとした礼節を持って迎え(中国側も江沢民主席が訪日した際のような非礼な振る舞いがあっては断じてならないことは知っているはずですが、もう一度釘は刺しておくべきかもしれません)、人権問題や香港問題、領土問題等については首脳会談において我が国の立場を明確に述べればよいのであり、民主主義国として、政府が国民に丁寧にこれを説明すればよいと考えます。
「天皇陛下が主席と握手される映像が世界に流れる」ことを心配する意見もありますが、畏れ多くも陛下の公的ご行為(国賓とすること自体は憲法に定める国事行為ではありません)にあれこれ言うべきではないでしょう。陛下のお立場を全力でお守りするのもまた政治の責任です。年内にも中東海域への護衛艦派遣が閣議決定される運びとなっています。艦繰りも相当に厳しい中で、アメリカの顔を立て、イランも刺激しないという苦しい選択ですが、万一の不測の事態への迅速な対応や、護衛艦の存在による一定の抑止力の確保という意味で肯定的に評価すべきものです。一部の報道によれば、今回活動地域から外した海域で日本船に危険が迫った場合、その防護は他国に依頼するのだそうですが(複数の政府与党関係者が明らかにしたと毎日新聞)、実際に攻撃された場合には直ちに海上警備行動を発令して自国船舶は守るのが当然でしょう。「そのような事態が発生する危険は少ない」(政府高官)のかもしれませんが、それを想定してあらゆる対応を考えておくのが危機管理の基本です。
このような議論は国会開会中にきちんと行って派遣の正当性を国民に明確にすることが必要だったと思いますし、それは派遣される海上自衛官諸官や留守を預かる家族に対しても大切なことだったはずです。政府の説明責任は、国民の代表者によって構成される国会の場で果たされることが望ましいと考えます。週末は、21日土曜日に鶏鳴学園 鳥取青翔開智中・高等学校FTA「あの人に聞く」シリーズ第1回で講演「真の教育改革は地方から」(午前11時・同校・鳥取市国府町)、関係者との昼食懇談会・校内見学(正午・同)という日程です。
FTAとは耳慣れない言葉ですが、Family Teacher Associationのことだそうで、Free Trade Agreement(自由貿易協定)ではありません。我々の時代はPTAと言っていたのですが、両親(Parent)だけではない、ということなのでしょうね。いつもこの時期になると書くことですが、クリスマスが近くなるとO・ヘンリの短編「賢者の贈り物」を読み返したくなります。本当の賢者とはいかなる人なのか、しみじみと考えさせられる佳作です。
都心は寒暖差の大きな一週間でした。
今年もあと10日あまり、皆様お元気でお過ごしくださいませ。