【千葉県議会】拉致問題早期解決の支援に関する議員連盟/フリースクール等教育機会確保議員連盟

こんばんは、我孫子市選出・千葉県議会議員の水野ゆうきです。

 

本日も千葉県議会では一般質問。4名の議員が登壇しました。

議会会期中のため、毎日代わり映えのしない会派控室での写真で恐縮です・・・(※議場はスマホ・写真NG)。

 

 

本日はお昼休みに所属する「千葉県議会拉致問題早期解決の支援に関する議員連盟」総会が行われ出席しました。

 

日本政府が「北朝鮮当局によって拉致された被害者等の支援に関する法律」に基づき「拉致被害者」と認定している方は17名でして、「救う会」で政府認定の17名に加えて7名を認定しています。

更に特定失踪者問題調査会で拉致の可能性があるとしている方は約470名です。

地方議会とはいえ、政治家として拉致問題に対して意識を高くしていたいと思っています。

 

また、本会議散会後には「千葉県議会フリースクール等教育機会確保議員連盟」の総会が開催されました。こちらの議員連盟でも役員(幹事)に選任されました。

 

不登校というのは私自身にとって、とても身近な課題です。

私は小学校の頃、学校に一人で行けず、特に小学1年生では泣いてばかりで数時間だけ受けたら母親に迎えに来てもらい、担任の先生がしょっちゅう自宅を訪れてくださり、「どうしたら泣かないで授業を受けられる?」「どうしたら最後まで授業を受けられる?」と両親と幾度となく面談をしていました。学校が怖くなったきっかけは引っ越しでした。

元々我孫子市根戸という柏市との狭間で生まれた私は、柏市の幼稚園に通園していました。しかし、小学校は我孫子市。

祖母の住む我孫子市白山に引っ越したことにより幼稚園の友達が一人もいなくなってしまったのです。

突然不安になり、泣きながら家に帰ったり、今でもあの時の自分のツラい気持ちを思い出すと苦しくなるほどです。

 

しかし、当時同居していた今は亡き祖母が「学校なんて行かなくていいんだよ。簡単な計算ができて、買い物ができれば困らない。」と言ってくれたことで母と私の肩の荷がおりました。

 

おそらく今の政治をやっている私からは想像もつかない姿かもしれませんが、私の考えやキャラクターがガラっと変わったのはやはり海外への移住でした。

 

小学3年生で父のアメリカ転勤に伴い、日本に残る選択肢は私の中には一切なく、家族全員でアメリカ・ロサンゼルスに移住。

母は日本人学校には私を入れずに現地校に転入させました。

 

現地校の風景は日本の学校とは真逆でした。

小学生ながらファッショナブルな私服で登下校し、休み時間は自分が持ってきたお菓子を食べ放題(コーラやスニッカーズなど)、ランチはカフェテリアで買って食べ、体操服などなく、そのまま適当にバスケをしたり、サッカーをしたり。

何よりも心地よかったことは「自由」であったこと「自主性」を重んじ、人に対して悪い意味での関心・興味は一切なかったことです。

集団行動もなく、自分のやりたいようにやる。それに対して誰もいちいち文句も言わない風潮でした。

そして、知らない人でもすれ違えば笑顔で「Hi!」と声をかけ、何かにつけて必ず「褒める」文化。そのフランクさに救われました。

その分帰国後は苦労しました・・・(笑)。

 

何を言いたいかというと、通っている学校に行けなくなってしまったとしても、その学校にとらわれることはないですし、フリースクールなど環境を変えれば、考えも変わったり、人生が変わったりすることもあります。

 

千葉県議会では全国に先駆けて超党派の議員連盟が結成されており、今期、ますます不登校に悩む児童生徒の支援に向けて力を合わせて取り組んでいきたいと思います。