石破 茂 です。
27日月曜日、大阪市での講演で「投票を義務化することも考えるべきでは」と発言したところ、何故かこれが多くの報道に採り上げられ、賛否多くのご意見を頂きました。
日本国憲法には「教育・納税・勤労」の義務が定められており、投票の義務は定められていませんが「納税が義務であれば、その使い途を問う選挙に対する投票の義務が課されてもよい」との議論もあり得ると思います。
以前にもご紹介したかと思いますが、ギリシャ哲学の権威であった故・田中美知太郎・京都大学名誉教授はその政治論集の中で「主権者とは投票行動の際、自らが為政者であればどうするかを考えて投票出来る人のことであり、単にあれもして欲しい、これもして欲しいという欲望だけで投票する人は、かつて専制君主国において唯一の主権者であった王に対して懇願しかできなかった領民と同じく『サブジェクト(臣民)』にしか過ぎない」、大意そのように論じておられたと記憶しますか、投票は「国民の義務」というより「主権者としての義務」と言うべきなのかもしれません。
国家や地域がどうなるかは自分のあずかり知ったことではない、誰かが考え、誰かがやってくれればそれでいいのだ、というのは、田中先生のいう「主権者」像とはかけ離れます。この議論では、必ず「投票したい候補や党がないから棄権が増えるのであって、義務制を唱えるよりも先に、投票したくなる候補者や政党になることを考えるべき」との論を述べられる方が居られますが、候補者や党に批判がある場合には白票を投じるべきものでしょう。このような「お任せ民主主義」のツケは必ず社会に回ってくることになり、民主主義とはそれほどまでに厳しい制度である、ということなのだと思います。今日の東京の新規感染者は463人となり、全国的に拡大が止まりません。百年前のスペイン風邪の例のように、「ウイルスが変異し、致死率が上がるなどの新たな猛威を振るうようになる」ことを「第二波」というのだとすれば、今回の感染再拡大はいわば「第一波の揺り戻し」なのでしょう。新型インフルエンザ特措法を改正して今回の新型コロナにも適用できるようにした特措法ですが、検証を行い、休業の強制化と補償の確保、市町村長への権限の付与など、更なる法改正が必要であれば、早急に作業を行い、整い次第、臨時国会を開いて審議を行わねばなりません。臨時国会の開会時期を政局と絡めて論じて、議論が妙な方向に向かってしまう愚は何としても避けるべきです。
元台湾総統・李登輝先生が97歳でご逝去になりました。
台北において、当選一回の自民党青年局訪台団の一員として先生に初めてお会いしたのは昭和62(1987)年の夏であったと思います。当時台湾はまだ戒厳令下にあり、李登輝先生は蒋経国総統(大統領)の下で副総統をお務めでした。「時間が一時間しかない。通訳を挟む時間がもったいないので日本語でやろう」と仰り、今後の日台関係について熱く語られた後「今月の中央公論の○○氏の論文(詳細は忘れてしまいましたが)は読んだかね」とお尋ねになり、読んでいなかった自分の不勉強を恥じたことでした。
その後、東京や台北において何度もお話しする機会を得たのですが、その度に貴重なご示唆を賜りました。最後にお目にかかったのは江口克彦元参議院議員のお計らいで、一対一で台北のご自宅においてでした。齢90を過ぎてもなお世界政治について、今後の日台関係について長時間お話しくださいました。「哲人政治家」の名があれほど相応しい方も居られなかったと思います。御霊の安らかならんことをひたすらお祈り申し上げます。雑誌も含め、最近刊行されたものばかり読んでいると、時節柄もあってか気持ちが何となく殺伐としてきます。
冒頭ご紹介した田中美知太郎先生の説は「田中美知太郎政治論集『市民と国家』」(昭和58年・サンケイ出版)に所載されていたかと思います。亡父は田中美知太郎先生の著作がことのほか好きでした。この本自体は父の死後発刊されたものですが、書店で見たときに父を思い出して迷うことなく購入いたしました。50歳近く年齢が離れていたこともあり、父を客観視することが多かったのですが、良い学者や本を数々紹介してくれたことを、今になってとても有り難く思っています。明日から8月というのに東京はまだ梅雨明けとなりません。この7月の日照時間は観測史上最も短かったとかで、夏の暑さが苦手な私もさすがに輝く太陽と青空が恋しくなっています。
いくら何でも来週には梅雨明けすることと思われます。皆様ご健勝にてお過ごしくださいませ。