あのつらさを忘れず

 北海道で初めて震度7を記録した胆振東部地震から、明日で3年。37人が犠牲となった厚真町で紙智子参議院議員、道9区・松橋ちはる予定候補と献花をおこない、当時のつらさや悔しさを思い出しながら哀悼の意を表しました。

 出張先の洞爺湖町で午前3時7分、スマホから緊急地震速報のアラームが鳴り響くと同時に、大きな揺れに襲われたことを思い出します。その後、テレビなどで地震の状況を確認しているうち停電に。被害状況がよくわからないまま朝を迎え、厚真町などで大きな被害が出ていることをラジオで知り、急いでスタッフに車を走らせてもらったのでした。

 厚真町での山腹崩落には驚きました。安平町・むかわ町などでも家屋の損壊がひどく、避難所をまわって要望を聞いては行政に反映するということを続けました。厚真町の避難所では「先ほど見つけてもらった」というご遺族にも接し、どのような言葉をかけたらいいかも、すぐには浮かばないこともありました。できる限り足を運びましたが、どれだけ力になれたのか今だに自信をもって言えないのが本音です。

 厚真町・宮坂市尚朗町長からは、何度も話をうかがってきました。「昨日までいっしょにご飯を食べていた町民が」と語った後に絶句された、あの日の町長さんの思いも蘇ります。くらしの上では災害公営住宅などできたものの、「凍上による浸水など思いがけないことも起こりました」と苦笑され、コロナ禍のもと「被災者には寄り添いが必要なのに、疎遠になってしまっている」と顔を曇らせました。

 基幹産業である農業では米価下落も心配されるし、森林再生は途上どころか緒に就いたばかり。それというのも44平方キロメートルという過去最大の森林崩壊で、路網や作業道の整備が追いつかず、山の所有者であっても現場を見ることができていないからです。山林といえど私有財産ということで国の支援も受けられず、宮坂町長から「防災という点で公益的機能があることを見てほしい」との言葉を、しっかり受け止めました。

 「崩落したままでは、所有者の意欲も失われてしまいます」と強調したのは、苫小牧広域森林組合の小坂利政組合長。数十年かけて育てた木なのに、路網や林道がないために見に行くことさえできない所有者の悔しさを代弁されました。上空からドローンなどで見ても、1本1本の木の様子までもはわかりません。搬出して植林し、次の世代に引き継ぐことを受け継いできた歴史が、それぞれの所有者にはあるのです。

 宮坂町長が触れた災害という点でも、各地で頻発する集中豪雨に襲われれば、流木や地盤の流出が心配されます。紙議員も関係省庁に反映していきたいと応じましたが、私自身も再び国政の場で力になれるようがんばりたい。

 先だって安平町では、産廃処理場建設予定地の調査にも訪れました。別の機会にまとめたいと思いますが、道による設置許可はされたものの、住民とともに安平町自体も建設に反対しているのです。法的な瑕疵(かし)はなく、技術的には可能だとしても、社会的な合意がつくられていません。すでに町には別の処理場があること、地震や豪雨などの自然災害にかかわる不安もあります。

 厚真町・伊藤富志夫町議、むかわ町・北村修と大松紀美子の両町議、安平町・三浦恵美子町議とは、今日も含めて何度も各地に足を運びました。各町議が3年間、本当に町民の苦難に寄り添い続け、信頼を広げてもきました。私も多くのことを学びました。このような地方議員の力こそ、日本共産党の底力だと実感してきました。私も議席を奪還して、いっしょに願い実現の力になっていきたい。

 【今日の句】寄り添いの力は いつも現場から

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畠山和也
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