石破 茂 です。
安倍元総理の国葬儀は、決まった以上は淡々粛々と行うべきであり、私自身、幹事長や国務大臣として安倍総理の下で働いたご縁があり、参列するのが当然だと思っておりますが、国葬儀が目前に迫った今もなお賛成世論が半数以下であることは、由々しき事態と考えるべきです。
我が国の民主主義を守るという決意を示すための国葬儀であるなら、残された一週間余りの間、賛成が過半数となるべく最大限の努力をすべきですし、民主主義の本質である意思決定に至る手続きの整備において、将来のために何らかの方向性を示さねばならないものと思います。
「今からでも国葬をやめれば内閣支持率は上がる」などという次元で物事を考えるのは論外です。
国葬の在り方については、過去の国会でも随分と議論があり、多くの担当大臣が「国葬に法律や基準は必要ない」と答弁する中にあって、「やはり何らかの基準を作っておく必要がある。そうすれば予備費の支出も問題がなくなる」(昭和43年5月9日 衆議院決算委員会・水田三喜男大蔵大臣答弁)、「国民の考え方が定着してくると(国葬は)法律化されることになる。まだ懸案となっているが、いずれこれは検討すべきものであり、検討しなければならない」(昭和44年7月1日 参議院内閣委員会・床次徳二総理府総務長官答弁)という至極真っ当な答弁もありました。この当時に真摯に課題を解決しておけば、今のような事態にはならなかったのでしょう。
なお、先般メディアとの質疑で「英国エリザベス二世女王陛下の国葬においても英国議会の議決があった」と述べたことがあったのですが、国王や女王の国葬に議会の議決は必要がないとのことで、私の事実誤認でした。お詫びして訂正させて頂きます。大変失礼致しました。
旧統一教会については、自民党として「何が問題だと考え、何を理由として今後一切の関係を断つこととするのか」を明確に示さなければなりません。宗教法人は、なんらかの理由で世の中の役に立っている(公益性がある)からこそ、国家として法律上一定の優遇措置を認めているのですから、これとの関係も整理しなければなりません。
宗教法人の公益性については様々な議論がありますが、「神仏や祖先、地域社会を大切にするという日本の醇風美俗を守ることに寄与する」「神社仏閣などの文化的な価値のあるものを維持している」といった理由は素直に肯けるものです。「個人の心の拠り所となっている」という理由も理解できますが、当該宗教法人が組織的かつ計画的に公益に反する行為をしていたと認められる場合には、社会に及ぼしている不利益との比較衡量の上で否定的に解される場合があるように思います。
仮にこのような「公益性を失った」といった理由で裁判所が宗教法人に解散命令を発したとしても、それは法人格を失うだけであり、基本的人権として重視される信教の自由には抵触しない、という判例もあります。この問題に政府として直ちに正面から取り組むのは困難であるとしても、党としての方向性はできるだけ早急に示すべきです。
党大会、両院議員総会に次ぐ自民党の意思決定機関である総務会のメンバーに久し振りになり(中国地方選出の総務は中国5県の回り持ちとなっています)、先週、今週と出席しました。発言は主として私の当選同期である村上誠一郎議員、大御所の衛藤征士郎議員と私ぐらいのもので、その後はあまり議論らしい議論もなく、遠藤総務会長が「執行部で協議する」「政府に伝える」と引き取られて終了する、というパターンが続いています。
我々衆議院議員が「代議士」と呼称されるのは「国民に代わって議論する士(サムライ・男性に限らない)」だからなのであって、国民の間に様々な意見がある以上、それぞれを代弁する形で自由闊達に議論をすることこそが「代議士」の職責なのではないでしょうか(ちなみに旧憲法下では勅選であった貴族院議員は代議士とは呼ばれませんでしたが、公選制である現在の参議院議員もまた代議士と呼ぶべき存在です)。
かつての総務会には加藤紘一、亀井静香、古賀誠、小泉純一郎各先生などの錚々たる顔触れが並び、長時間にわたって侃々諤々の激論が交わされ、何とかご納得いただいて議論を収束させることを四先輩方のイニシャルをとって「K点越え」と称していたものでした。
党の組織上、執行部と切り離された総務会は他党に例を見ない自民党独特の機関で、これこそが自民党の活力の源泉であるはずです。せっかくこの多難な時期に総務になったのですから、日本国のため、自民党のために言うべきことを言い続けなくてはならないと思っています。遠藤総務会長はいつも誠実に対処してくださっており、今後にも期待してやみません。
元内閣官房副長官・元厚生事務次官、古川貞二郎さんが87歳で逝去されました。今まで随分と多くの官僚の方々とお付き合いをしてきまし
たが、古川さんほど私心なく、透徹した国家観と倫理観を持ち、吏道を全うされた方を私は知りません。
平成4年12月、当時厚生省の官房長であった古川さんが私の議員会館事務所を訪ねられ、「明日の宮沢改造内閣の政務次官人事では貴方が厚生政務次官になりそうです。一緒に仕事ができるのが楽しみです」と言ってくださったことがありました。当選二回生の頃、私はメインの仕事を厚生分野に絞り、この分野で政治家人生を全うしようと思っておりましたので、本当に嬉しかったことをよく覚えています。実際は派閥人事の都合で農林水産政務次官に回ったのですが、あの時厚生政務次官になっていればその後の人生は全く違ったものになったかもしれません。
その後、私が小泉内閣で防衛庁長官を務めた時には、古川さんは事務の官房副長官でしたが、有事法制制定や自衛隊のイラク派遣で困難を極めていた時にも随分と助けていただきました。
「忖度」が流行語となるような昨今の世の中にあって、吏道を体現する官僚が少なくなってきたように思いますが、それは我々政治家の責任でもあります。古川さんの御霊が安らかならんことを心より祈ります。
今日は41年前に亡くなった父・石破二朗の命日です。身内の私が言うのもおかしいのですが、亡父も旧内務官僚・陸軍司政官・建設官僚・県知事として吏道を全うした人でした。
私自身には官吏の経験はないのですが、同じ公人として、自分が亡父の足許にも及ばないことを思うと恥じ入るばかりです。しかし、一生かかっても越えられない親を持ったことは、ある意味とても幸せなことであるのかもしれません。
この週末にでも、時間を見つけて「朝鮮併合」(森万祐子著・中公新書・最新刊)、「新装版 小室直樹の学問と思想」(橋爪大三郎・副島隆彦両氏の対談・ビジネス社・同)を読んでみたいと思っております。日韓併合は国際法的には完全に合法である、というのが日本政府の立場であり、私もそのように考えておりますが、歴史的によく検証しないままに安易に語ってはなりません。小室ゼミの門下生である橋爪氏、副島氏は共に鬼才的な異能の研究者ですが、今の時代にこそ小室博士の思想や論理を知ることが求められていると思います。
九月も半ばを過ぎました。この時期になるといつも「九月の雨」(太田裕美・1977年)と「九月の色」(久保田早紀・1980年)を無性に聴
いてみたくなります。この2曲は今聴いても全く旧さを感じさせない名曲です。
まだまだ残暑が続きますが、どうか皆様ご健勝にてお過ごしくださいませ。