石破 茂 です。
「嫉妬は正義の仮面をかぶってやってくる」とは名コラムニストであった故・山本夏彦氏の言葉であったと記憶します。随分と前のことになりますが「正義と嫉妬の経済学」(竹内靖雄著・講談社・1992年)を読んで初めてこの言葉を知った時、なるほどと深く得心したことでした。
引用で恐縮ですが、日本は世界一の「誹謗中傷大国」なのだそうです(窪田順生・ダイヤモンドオンライン・7月20日)。この記事によると、日本人はツイッターの利用者率、利用時間、匿名利用率、削除要求件数のすべてが世界一なのだそうで、そうだとすればかなり異様なことでしょう。言論の自由が保障されるべきは当然ですが、匿名で自分は安全なところに身を置いて、会ったこともない相手を、事情も深く知らないままに罵倒して正義を気取る、というのは醜悪の極みです。これがやがて「正義」を掲げる勇ましい世論となり、「正義」が暴走して批判を封殺し、最終的に国を誤ることになるのが一番恐ろしいと思います。戦前や戦中、戦争に反対する人を「非国民」と断罪し、日米の国力差も知らずに好戦ムードを高めていったのは他ならぬ「正義感に燃えた」多くの一般市民であり、これを煽ったのがラジオや新聞などのメディアでした。残念ながら、一般市民は反戦であったのに国家権力がこれを抑圧した、というのはおそらく正しい分析ではありません。
そしてコロナ禍が猛威を振るっていた頃、「自粛警察」なる行動が各地で起きていたことにも、ある種の類似性を感じます。もしこれが、日本人が持つ性癖であるとするなら、健全な民主主義の発達のためにもこれを顧みる必要があります。広島サミットにウクライナ大統領が登場し、日本の世論の大勢も「日本は『善』なる被害国ウクライナと常に共にあるべきだ」というものになっています。
ロシアの不法な侵略行為は明白な事実であり、ウクライナの民間人が殺害されることは強く非難されるべきもので、そのようなウクライナ国民にできる限り寄り添うべきことはその通りですが、それは直ちにウクライナが一方的な「善」であることを意味するものではありません。国家間の争いはそう単純なものではなく、また日本として我が国の国益の観点がどうしても必要になるからです。
2014年のミンスク合意(ミンスク議定書)は、ウクライナ東部の親ロシア派支配地域に特別な地位を与える代わりにウクライナから外国の部隊が撤退する、という内容でした。これが誠実に履行されなかったのはロシアだけの責任である、と断じるのはなかなか難しいでしょう。
そして我々日本人として、中国初の航空母艦「遼寧」のベースとなった空母ワリャーグをスクラップとして売り渡し、北朝鮮にミサイル技術を供与したのがウクライナであることを忘れるべきではありません。
ウクライナへの支援に異を唱えるつもりはありませんが、「善か悪か」「正義か不正義か」の二分的な思考で物事を一方的にしか捉えないことは現に慎むべきであり、我が国は国連安保理議長国として早期の停戦実現に向けて議論を主導し、加速させていかねばなりません。本日は浜松市での講演、週末は神戸市での講演の他、地元での行事がいくつか入り、慌ただしい日々となりそうです。
今週の東京はまだ梅雨明け宣言もないままに酷暑の日々が続きました。秋田をはじめとする豪雨の被災地に心よりお見舞いを申し上げますとともに、皆様のご健勝を祈念いたしております。