石破 茂 です。
当ブログをお読みいただいている皆様、誠に有り難うございます。コメント欄にお寄せいただくご意見も本当に参考になり、心より厚く御礼申し上げます。
かつて当選2回生の時、厚生系の議員を志して衆議院社会労働委員会(今は厚生労働委員会)の理事を務め、平成4年12月の宮澤改造内閣では厚生政務次官を希望していたのですが、諸般の事情で農林水産政務次官に回り、以来厚生関係からはずっと遠ざかってしまいました。そのため今回は及ばずながら随分と勉強(あまりこの言葉は使いたくないのですが)させて頂いております。
厚生関係は事務量が他に比べて膨大なこともあり、中央と現場や地方との意思疎通があまり十分に機能していないように思われます。
志村けんさんが亡くなり、ご遺骨となって自宅に戻った時、兄の知之さんが「入院中も会えず、(ご遺体は)そのまま火葬場に行き、家族は火葬場に行くことも、立ち会うことも、骨上げも一切出来なかった」と涙ながらに語っておられ、誰を非難するのでもない態度は誠にご立派だと思いました。しかしこの報道を見て「新型コロナで死んでしまったら、死に顔も見てもらえず、骨も拾ってもらえない。なんと恐ろしい病気なのだ」と思われた方は多いと思います。
同時に、800度~1200度の高温で火葬されれば、ウイルスは死滅するはずなのに、何故遺族が遺骨も拾えなかったのか、不思議に思ったのは私だけではないはずです。調べてみると今年2月25日、厚労省の生活衛生課より各都道府県の担当部局宛に「遺体が非透過性納体袋に収容・密封されていれば遺体の搬送を遺族が行うことも差し支えない」「火葬に先立ち遺族が遺体に触れることを希望する場合は手袋の着用をお願いする」「遺族の希望があればこれを尊重して火葬は24時間以内に行なわなくてもよい」などの内容がQ&Aの形式で伝えられており、これを市町村に対しても周知させるように記されています。なぜこれが志村けんさんの場合には適用されなかったのでしょうか。
厚労省、都道府県(志村さんの場合は東京都)、市区町村、関連民間事業者、それぞれの当事者の誰もこれを疎明しないままに国民に恐怖感や絶望感が広まっているのは由々しい事態です。4月1日に総理から発表された「一世帯に布マスク2枚を配布」という施策の評判もあまり芳しいものではないようですが、これも「中央と現場の認識のギャップ」の例ということなのかもしれません。マスク不足の不安に対応するために良かれと思って実行を決断されたに違いないのですが、1枚200円、5800万世帯とすれば郵送料、封筒代、宛名印刷料などすべて含めれば300億円弱の国費が使われることになるとなると、本当にこれが優先されるべき政策であったのか、疑問に思う方が多いのも仕方ないかもしれません。
今一番の急務は感染拡大と医療崩壊の阻止なのであり、国費の使途も、緊急事態の宣言の可否や時期の判断も、その目的のためにこそなされなければなりません。
「緊急事態」の持つ語感のため、あたかも随所で官憲による検問や私権の制限が行われる「戒厳令」のようなイメージで捉える向きもあるのですが、緊急事態宣言は海外でなされている「都市封鎖」のようなものではありません。
政府が緊急事態を宣言することにより、都道府県知事が法的な根拠をもって外出の自粛を要請できるようになります。これは実態としては今東京都などが要請しているものとそれほど違いはありません(宣言後の要請にも罰則はありません)。一番強い権限は医療目的の土地や施設の使用で、最終的には所有者の同意なくして実行ができますが、集会施設の使用制限の要請、要請に従わない場合の指示、必要な物資の流通の確保、高騰を防ぐための措置等には、罰則はありません。これらを行うかどうかは都道府県民の選挙によって選ばれた知事の判断です。
「いつ出すのか」ということばかりに関心が集中し、緊急事態が宣言されたら買い占めや売り惜しみ、価格の暴騰などが起こってパニックとなるのではないか、と懸念するのは話の順序が逆なのではないか。そうならないために緊急事態を宣言するのであることを丁寧に説明するのが政府の役割ですし、その故にこそ宣言の時には相当な具体的な措置(特に人的移動を制限する態様の具体化と、それによって直接打撃を受ける産業に従事する方々への経済的な手当て)と、実効性担保のための準備(人的・物的医療資源の確保や応援要請など)を併せて行っておかなければなりません。また、当面の資金・雇用対策と、それに続く経済対策とは明確に分けて実施すべきものです。全体の規模は、期間が不明な以上明確には出来ないと考えますが、財政資金(真水)でGDPの約1割である55兆円程度が目安との考え方もあります。生活・事業資金には特にスピード感と簡便性が求められ、早急な補正予算の成立と春の連休に入る前の執行が望まれます。
太平洋戦争においては約230万人の戦没者を出しましたが、餓死・病死した将兵はそのうち6割を超えたと言われています。現場で何が起こっているかも掌握せず、掌握していても国民にそれを知らせることなく大本営発表を繰り返した歴史を我々はもう一度再認識しなくてはなりません。国家的な危機を乗り切るためにもそれは是非とも必要なことと思います。
スウェーデンでは「日常を出来るだけ維持する」「専門家300人からなる公衆衛生局が強い立場で判断し、政府はそれに従う」「判断は政治的な思惑を排し、科学的に行われる」「政府は国民の理性を信頼する」「罰則を科して強制することは民主主義に反し、独裁肯定に繋がる」などの考えに基づいて、他国とは一線を画した、かなりユニークな新型コロナ対応がなされているそうです。当然、国内外から様々な評価がありますが、場当たり的や受け狙いではない対応は、民主主義の在り方そのものと深く関わるように思われます。
我が国においても、危機管理の専門家集団の創設は今度こそ行わなくてはなりませんし、民主主義は意思決定機関と現場が近い距離にある地方においてこそ、より健全に機能するのだと思います。今週末も「密集・密閉・密接」を避けて行われる公の行事にのみ参加するため帰郷いたします。それ以外は、引き続き今まで読めなかった本を読んだり、深く考えてこなかったことを考える機会として大切にしなくてはならないと思っております。
先月末、都心も思わぬ降雪と強風に見舞われましたが、それにもかかわらず国会周辺の桜はまだ健気にも咲いており、少しだけ心安らぐ思いが致します。
皆様、引き続きお気をつけて、ご健勝にてお過ごしくださいませ。