こんばんは、音喜多駿(参議院議員 / 東京都選出)です。
押谷仁教授と渋谷健司氏がPCR検査についてかなり異なる見解を出し、ネット上でも議論が起きている。私は現時点では押谷教授に理ありと思うのですが、PCR検査を巡る議論はまだ決着を見そうにない。。
>【独占】押谷仁教授が語る、PCR検査の有用性とリスクとの向き合い方https://t.co/9lzdL5iuYs https://t.co/QXbCz5r1JG
— 音喜多 駿(参議院議員 / 東京都選出) (@otokita) August 1, 2020
PCR検査について、今日も「急進拡大派VS穏健派」ともいうべき議論・対立構図が続いています。
【以下、私の定義】
PCR急進拡大派:
とにかくPCR検査を諸外国並(?)に1日数万~数十万件に引き上げることを優先する。感染拡大が止まらないのはPCR検査を拡充しないことが主な原因であると考えているPCR穏健派:
PCR検査を拡充していくことは重要ではあるが、無差別に拡充することは限界やデメリットもあり、あくまで感染拡大防止策の一つとして捉えている私はPCR穏健派の考えを取る人間ですが、周りの議論を見ているといわゆる左派・リベラルと呼ばれる方には急進拡大派が多く、右派・保守と目される方に穏健派が多い印象です(なお私も中道右派を自認する立場)。
右・左、保守・リベラルという区分けは時代遅れという声はあるものの、私はまだ考え方を整理・分類する上で一定程度の意味はあると思っています。
それはエドモンド・バークから始まる保守思想、変革というのは現実や歴史に立脚しながら暫時的に・徐々に行われるものであるという考え方と、観念的な理想を追い求めそれが実現可能だとするリベラル思想の違いというのは、PCR検査一つにしても現れていると感じられるからです。
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左派・リベラルと言われる方々は、安全保障においても古くは「非武装中立」を唱え、戦力や安保法制などはなくても平和は保てると主張をしてきました。
そりゃ、武力を持たずに国土の安全を守れて、さらには世界平和にまで貢献できるのだとすれば、これほど理想的なことはありません。
しかし「現実には」そういうことがあるはずもなく、日本も一定のリスクやコストをとって安全保障政策を実施していく他はありません。
PCR検査も、検査拡充のためのリソースが無限にあって、陽性と判断された人を確実に隔離・監視ができればコロナの封じ込めは可能かもしれません。
しかし「現実には」医療資源も財源(特に地方自治体)も有限であり、人権を制限できる諸外国と違い我が国には陽性者を確実に隔離・監視をする仕組みは存在しないわけです。
「単に検査拡充と言っているわけではない。もちろん検査と隔離はセットだ!」
と口ではいうものの、ではその隔離や監視をするために人権を制限する法改正に彼らは賛成してくださるのでしょうか?また、本当にそれをやるべきだと思っているのでしょうか?
あるいは逆に、指定感染症を外して隔離の必要はなくせば単純な検査拡充は可能かもしれませんが、それも選択肢として検討しているのでしょうか。
そこまで覚悟をもって踏み込むことなく、ただ「検査拡充で感染拡大は防げる」と主張するのであれば、やはりそれは安全保障と同様の「理想論」に過ぎないと私は感じます。
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私は政府与党のコロナ対策を積極的に支持する立場にはありませんが、PCR検査ついては極端な拡充に舵を切らなかったことは間違っていなかったと思います(必要と判断されたものへの段階的な拡充はもちろん必要)。
私は「この仕組みでやりたい」と決めた事務方の責任者です。今は政府の一員ですが、コロナがあったからといって中国のような社会になるのは、国民のひとりとしてもまっぴらごめんなので、この仕組みにしました。
→「接触確認アプリ」開発の舞台裏とは ロングインタビュー https://t.co/Vx5fdYxM3v
— 平将明 (@TAIRAMASAAKI) August 1, 2020
人権を制限せずにアプリを普及させようとする姿勢も肯定するものです。
あたかも検査を拡充すれば解決するかのような聞こえの良い言説は、コロナに怯える人にとっては救いに聞こえてしまいますし、それらの声が大きくなれば政治に一定の影響力があるでしょう。
一方で、中国のように強権を発動することはまた、権力者にとっては魅力的にうつることでしょう。
無邪気に検査と隔離の拡充を叫んだ結果が、中国のような監視社会への道をひらくとしたら…?
まさに地獄への道は善意で舗装されています。為政者はこうした声に惑わされることなく、現実と自由主義に立脚しながら地道に解決策を進めていくしかありません。
我々も地方自治体や医療現場が最大限のパフォーマンスを発揮できるよう、週明けは現実的な特措法改正案などを積極的に提案をしていきます。
(本件は動画でも解説しました)それでは、また明日。