民営化の否定や「脱成長」論の誤謬。市場や経済はみんなが得できる「プラスサムゲーム」である

こんばんは、音喜多駿(参議院議員 / 東京都選出)です。

ついにパラリンピックも閉会へ。パワフルに多くの物語を創ってくれたパラアスリートたちに、多くの人々が感動と勇気をもらったのではないでしょうか。

無観客とはいえ、この状況でなんとか開催・無事終了までたどり着いたことも、菅政権の大きな功績の一つだと思います。

すべての選手と関係者に、心からの感謝を。またパリで会いましょう!

そんな週末ですが、Twitter上では埼玉維新のブルファイターこと中野たかゆき・蕨市議会議員が民営化を巡って熱い闘いを繰り広げていました。

まあ郵政や公営住宅など各論については、今回は置いとくとして(中野市議の指摘が正しいと思います)。

この議論の土台には、かなり本質的な論点・価値観が含まれています。

それは民営化を拒絶する人や、利益を生み出すことを否定するいわゆる「脱成長」論者の多くは、社会全体(市場や経済)を「ゼロサムゲーム」であると捉えていることです。

誰かが得をすると誰かが損をする「ゼロサムゲーム」の世界では、利益を出すということは誰かの利益を奪うことなので、民営化=営利企業なんて悪に決まっている!お金儲けはけしからん!という発想に行き着きがちです。

しかしながら、自由主義社会・資本主義社会においては、市場や経済というのは「プラスサムゲーム」です。

誰かが得をするように動けば、経済のパイそのものが大きく膨らみ、全体で得をする量が増える。この繰り返しで、近代以降の世界は急速な経済成長を実現し、世界全体で貧困をなくし平均寿命や識字率などを伸ばしてきました。

ぜひ詳しくは

『自由と成長の経済学 「人新世」と「脱成長コミュニズム」の罠

をご一読いただきたいのですが、 著者の柿埜真吾氏は「脱成長」論を丁寧に批判しつつ、急速な経済成長と近代のスタートとなった産業革命の本質は実は技術革新ではなく、「社会(市場と経済)はプラスサムゲームである」という価値観の大転換にあった点を指摘しています。

近代以前の世界では、金儲けは悪徳です。それは「ゼロサムゲーム」の価値観に生きていたからであり、慎ましく限られた資源を共同体の全員で分かち合うことが、宗教的にも美徳とされてきました。

しかし「誰かの得は誰かの損」ではなく、みんながそれぞれ得をするように動けば、社会全体が豊かになる。

ならば、そうした方が良いに決まっている。ただし、独占や寡占など「市場の失敗」が起きないように、ルール形成はしっかりやる。

こうして利益をあげることが否定されなくなった自由主義社会・資本主義社会では、各人の努力による目覚ましい発展が遂げられ、今日を迎えていることはご案内の通りです。

民営化によって利益を追求することは、決して悪でもマイナスでもありません。逆に公営事業が採算度外視でやることで、旧国鉄のような悪質なサボタージュを招くこともあります。

近代以前の停滞を見れば一目瞭然であるように、競争意識のない社会にイノベーションやサービスの向上というのは極めて起こりづらいものなのです。

そこで「民間でできることは民間に任せる」ことにより、社会全体を底上げするプラスサムを目指していく。

ただし、競争になじまない分野もあることは確かなので(警察や消防、児童相談所など)その部分は公営でしっかりと運営していく。

この我が党が大事にしている基本理念をしっかりとお伝えできるよう、ブルファイターの仲間とともに(笑)発信していきたいと思います。

それでは、また明日。

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