第2次安倍内閣が発足して以来、7年と8カ月に渡り、内閣官房長官として、首相のもとで日本経済の再生、外交安全保障の再構築、全世代型社会保障制度の実現など、この国の未来を左右する重要な課題に取り組んでまいりました。 今年に入ってからは、新型コロナウイルス感染症の拡大という、かつてない事態に直面する中で、その感染拡大と医療崩壊を防ぎ、同時に社会経済活動を再開していくという課題に、真正面から取り組んでまいりました。 こうした中で陣頭指揮を取られていた安倍首相が道半ばで退かれる事になりました。首相の無念な思いを推察いたしております。 しかし、この国難にあって、政治の空白は決して許されません。一刻の猶予もありません。この危機を乗り越え、全ての国民の皆さんが安心できる生活を1日も早く取り戻すことができるために、1人の政治家として、安倍政権を支えた者として、今なすべきことは何か熟慮をしてまいりました。 そして私は、自由民主党総裁選挙に立候補する決意をいたしました。安倍総裁が、全身全霊を傾けて進めてこられた取り組みをしっかり継承し、さらに前に進めるために私の持てる力...を全て尽くす覚悟であります。 私の原点について、少しだけお話をさせていただきたいと思います。 雪深い秋田の農家の長男に生まれ、地元で高校まで(過ごし)卒業をいたしました。卒業後、すぐに農家を継ぐことに抵抗を感じ、就職のために東京に出てまいりました。 町工場で働き始めましたが、すぐに厳しい現実に直面し、紆余曲折を経て、2年遅れて法政大学に進みました。一旦は民間企業に就職しましたが、世の中が見え始めたころ、もしかしたらこの国を動かしているのが政治ではないか。そうした思いに至り、縁があって、横浜選出の国会議員、小此木彦三郎先生の事務所の秘書としてたどり着きました。26歳の頃です。 秘書を11年勤めたところ、偶然、横浜市議選に挑戦する機会に恵まれ、38歳で市議に当選しました。そして地方政治に携わる中で、国民の生活をさらに良くしていくためには、地方分権を進めなければならない。そういう思いの中で国政を目指し、47歳で当選させていただきました。地縁も血縁もないところからのまさにゼロからのスタートでありました。 世の中には、数多くの当たり前でないことが残っております。それを見逃さず、国民生活を豊かにし、この国がさらに力強く成長するために、いかなる改革が必要なのか求められているのか。そのことを常に考えてまいりました。 その一つの例が、洪水対策のためのダムの水量調整でした。長年、洪水対策には、国土交通省の管理する多目的ダムだけが活用され、同じダムでありながら、経済産業省が管理する電力ダムや農林水産省の管理する農業用のダムは、台風が来ても、事前放流ができませんでした。このような行政の縦割りの弊害をうちやぶり、台風シーズンのダム管理を国交省に一元した結果、今年からダム全体の洪水対策に使える水量続きをみる『著作権保護のため、記事の一部のみ表示されております。』