戦後75年にあたり「もはや戦後ではない。新たな自由を守る闘いの始まりである」

75年前の今日、猛暑の中、幼子からお年寄りまで、じっとラジオの玉音放送に耳を澄ましていました。亡父は当時早大学徒動員中、各務原の川崎工場で聞いてたと教えてもらったことを記憶しております。父もそうでしたが、多くの国民は「何を言っているかわからなかったが、日本が戦争に負けたことだけはわかった。」そして「ほっとした」というのが大半の国民の思いだったのではないでしょうか。

本日の全国戦没者追悼式で安倍内閣総理大臣においては「積極的平和主義の旗のもと国際社会と手を携えながら世界が直面している課題の解決にこれまで以上に役割を果たす決意」とし、天皇陛下におかれましては「新型コロナウイルス感染拡大により新たな苦難に直面しているが、私達皆が手を携えてこの困難な状況を乗り越え、今後とも人々の幸せと平和を希求し続けていくことを心から願う。」と共に戦没者に哀悼の意を示された後に語られました。

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▲本日午前お姐地元船堀の氏神様、日枝神社にて鎮魂の祈りを捧げました

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▲上皇陛下のお言葉(日枝神社内掲示)

陛下が自らを「私達皆」とされ、「国民」ではなく「人々」とわかりやすく同じ目線で言葉された姿が印象に残りました。

【多くの民間人の命が奪われた日本】
1941年に始まった太平洋(大東亜)戦争により「第二次世界大戦」は欧州のみならず太平洋地域にも拡散することになりました。日本人だけでも、軍人230万人、民間人80万人(東京大空襲10万人、広島原爆14万人、長崎原爆7.4万人)合計310万人が戦争の犠牲となりました。世界全体では5000万~8000万人というとてつもない数の尊い命が無残に失われたのです。

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▲同神社内の船堀地区の戦没者慰霊碑

 戦争は加害者になり被害者にもなる悲劇を引き起こします。我が国も他国を苦しめましたが、日本人である私にとって胸が痛むのは、当時の国際法でも禁止されていた国内各都市への民間人を多数犠牲にし、街も文化も、人の営みを焼き尽くす無差別空襲、沖縄戦、広島・長崎への原爆投下です。日本人が失った有形無形の財産を思えば、今をもって許しがたい気持ちでおります。このようにあまたの市井の人々の犠牲を伴って、1945年8月15日、戦争結します。その機に乗じソ連による中立条約を一方的に破棄しての侵攻。今は忘れ去られた「戦車の神様」池田末男大佐が、壮絶なる占守島の闘いを繰り広げ、兵役義務から解放されていたにもかかわらず命をもって職責を全うし、北方四島は占領されるも北海道本島を守ったのでありました。

我々は、今日と同じ明日が来ると信じていた、日々を慎ましく暮らしていた人々がなぜ犠牲になれなければならなかったのか。なぜ軍国主義に政府が坂道を転がるように傾倒していったのかを忘れてはなりません。日々の議会活動を通じ、同調圧力、権力構造、庶民を見省みず支援母体ばかりに忖度する今の日本の政治構造と硬直した官僚主義が、再び同じ過ちを繰りかえすまいか、監視することこそが今を生きる地方議員の責務と考えております。

【自由を守る会の使命は】
従軍経験者の平均年齢も90歳を過ぎ、実体験として戦争を伝えていくことが難しくなっている今、子育て中の議員が多い自由を守る会は、自らが戦争の惨禍を学ぶだけでなく、野坂昭如氏の戦争体験を題材にしたジブリ作品「火垂るの墓」が多くの戦争を知らない大人・子どもに語り掛けるように、日本においても非戦闘員たる無垢なる子どもが大きな被害を受け、当会も各自治体での条例制定目指している「子どもの権利条約」締結のきっかけになったごとく、後世に伝える責務を担っております。私達自由を守る会の縦軸は「自由」、そして横軸は「人権」、ことに「子どもの人権」たる所以がここにあります。

また、東京の地域政党自由を守る会としては、無差別空襲により甚大な被害がもたらされた区部に留まらず、軍事工場を中心に爆撃の標的とされた多摩地区、地上戦まで展開され本土から切り離されて占領された伊豆・小笠原諸島に至る東京全域・多くの都民がどれほどの痛手を受け、そして、焼け野原となった東京を再興していったか、先人に感謝して、地域住民最優先の地方自治と地方政治を実現させなければなりません。
戦後75年の節目、令和の時代に入り新型コロナウイルス感染症の蔓延、気候変動による、豪雨・巨大台風と新たな惨禍が矢継ぎ早に発生し、住民生活を脅かしています。にもかかわらず、相変わらず住民不在の密室政治、永田町の権力闘争が続いています。ことに小池東京都政においては、場当たり的かつ莫大な税金を使い自らの権勢を知らしめるようなプロパガンダ施策が臆面もなく打ち出され、突如として軍国主義が台頭していったいつか見た風景と重なり、大きな危機感を抱くものです。

「人権なくして自由なし、自由なくして平和なし」。もはや戦後ではない、新たな自由を脅かす勢力との闘いが始まっているのです。

都民・区民・市民に「隷属の道」を再び歩ませないために、我々東京の地域政党「自由を守る会」は、今こそすべての人の自由、平和、命、人権が守られる地域社会を守っていくために、何者にも忖度せず、いかなる抵抗勢力にも屈することなく住民の利益を最優先に議会活動をしていくことを皆様に固くお誓い申し上げます。

戦後75年にあたり、改めて地域政党「自由を守る会」は、人を、家族を、郷土を、日本を、地球を愛するがゆえに、国・地方を問わず、政治・政府に意見を述べ、提言し、批判することができる仲間が集い、助け合い、行動する自由を守ることを表明します。

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▲自由を守る会メンバーと幹事会にて

自由を守る会 代表
東京都議会議員 上田令子

【お姐総括!】
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▲戦没者名が並ぶ慰霊碑の裏面

地元船堀も戦前は長閑な田園風景が広がり、農家の若者が召集され命を奪われました。
上田家はかつては「西野姓」であったのですが日露戦争のときに、三男であった宿六どん(←下町の夫の尊称)の曽祖父は上田家に養子に出され、兵役をからくも免れたそうです。親心なければ、宿六どんも息子達も存在しなかったことになり、ご先祖様に感謝すると同時に戦争に行って命を失った地元の若者たちの御霊の安らかなることを祈るばかりです。

戦死者の数だけお母さんがいて家族がいた。どんな思いで息子を送り出したか、無辜なる子ども達が犠牲になったことの、せめて痛みを共有し、人権と自由と平和が守られる政策、施策を実現していくことこそことが、私達今を生きる母親で女性の地方議員のできることだと石碑に手を合わせた次第です。

地獄への道は善意で舗装されている
妬み嫉み僻み、権力欲は国を亡ぼし、その多くは善意の仮面をつけたファシズムの台頭から静かに始まっていきます。
お姐は、ヒタヒタと当初はにこやかに忍び寄り、人々をだまし、不幸にするファシズムと徹底的に闘ってまいります!
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自由を守る会代表 上田令子チャンネル

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