2025年3月30日:パート2 本日2本目のブログでは、なかなか書く暇のなかった亡父と義兄の思い出を綴る。 若い頃はスキーの選手やコーチとして活躍し、陸軍士官学校に入学する直前(?)に終戦を迎えた亡父 山本富雄は、町会議員3期を務め、県議3期目の途中で参議院議員に転身した「叩き上げの党人派政治家」だった!! 子どもの頃から、とにかく怖くて厳しい存在だった。若い頃から亭主関白で、家の中ではある種の暴君だった。晩年は亡母に対して感謝の気持ちを抱き、大事にしていたものの、祖父から引き継いだ温泉旅館の経営でも、選挙運動でも、どれほど母に迷惑をかけたか分からない!! 今、思い返すと、本当に「わがままで、負けず嫌いなひと」だった!! 政治家としては、「古い政治文化」を体現していた部分もあった。細かいことは言わないが、亡父のその旧来型の体質が、「知事になりたい!」という自らの悲願の足を引っ張ることにもなった!!そんな気がしてならない!! が、そうしたことを全てひっくるめても、息子の目から見て、(色々な意味で)「ドキドキするほど、カッコいい親父」だった!!ちっとも似ていないのが悔しい!!(笑)とても尊敬していたし、(亡母の次に)大好きだった!!亡き両親には、感謝の言葉しかない!! 義兄の田島雄一は、伊勢崎地区選出の自民党県議だった。兄貴は、26歳という若さで最年少の県議としてデビュー!!その後、様々な試練を乗り越えつつ、県議6期を務め上げた。議長を含む県議会の要職も歴任したが、最後は、体調を崩して、引退を余儀なくされた。 思ったことをズバズバ言う性格なので、誤解を受けることもあった。が、とても正直で、裏表のない義兄のことが、とても好きだった!!お互いの選挙でも、常に助け合っていた!! その義兄を(あらゆる意味で)支えていたのが、今も伊勢崎市に住む、自分が最も頼りにしている姉だ!! 山本一太は、今年の1月24日に67歳になった。実はこの「67」という数字は、自分にとって「特別の意味」があった。66歳で亡くなった父親の寿命を1年、上回ったからだ!!(よしっ) 育ててくれた両親への恩返しのためにも、「たとえ1日でも、必ずこの2人より長生きしよう!!」と心に決めている!! 次の目標は「73歳」で亡くなった母の年齢を超えることだな!!(ふう) そう言えば、昨晩、久々に両親の夢を見た。なぜか分からないが、夢に出て来た場面は、子ども時代を過ごした草津温泉(地蔵区)の家。3人で食卓を囲んでいた。「食後のひと時」みたいな雰囲気だった。 ちなみに、自分が生まれ育った地蔵区は近年、開発が進み、今は「裏草津」と呼ばれる人気観光スポットの1つになっている。 両親の顔を見ながら、「あれ、やっぱり2人とも、実は生きていたんだな!ああ、良かった!!」と胸を撫で下ろした。 亡父が静かな口調で言った。 「まあ、お前が思ったとおりにやればいいじゃないか!!それが県と県民のためになると信じているんだろう?!何をやろうと反発はある。とにかく後悔しないよ続きをみる『著作権保護のため、記事の一部のみ表示されております。』
今月の3月16日は亡父 山本富雄の、続く18日は、義兄 田島雄一の命日だった!!
