2025年6月22日:パート2 夕方。高崎の自宅で、パソコンのブログ更新画面と向き合っている!!熱いミルクティーの入ったマグカップを片手に、温泉文化関連シリーズの続編に突入する!! 前回のブログ(その⑩)では、ひと足先に「国内候補」に選ばれた「書道」や、同じ28年の登録を目指すライバルである「神楽」の運動の歴史について解説した。では、温泉文化の登録運動には、どんな歴史があるのだろうか?! 「温泉文化」のユネスコ無形文化遺産登録を目指す運動は、2018年に群馬県から始まった。2025年現在では、全国規模で展開されている。先ずは初期の運動を簡単に振り返ってみよう!! 2018年12月、群馬県の自民党県議団が「温泉文化世界遺産研究会」を発足した。翌年の2019年6月に、群馬県内の温泉関係団体が「温泉文化ユネスコ無形文化遺産登録推進協議会」を設立。同年11月に、日本温泉協会がユネスコ登録に向けた協力を全国の温泉地に呼びかけている!! 最初から国内で文化として認知されていた他の候補と比較しても、ユネスコ無形文化遺産登録運動をスタートさせた時期は、決して遅かった訳ではない!! この間、温泉協会を中心に、政府(文化庁)に対しても、様々な働きかけを行なっていた。知事就任直後にある会合でお目にかかった松浦 晃一郎元ユネスコ事務局長から、温泉文化のユネスコ無形文化遺産登録を実現するための課題について伺った記憶がある。 現在、世界遺産アカデミーの会長を務める松浦氏は、1999年から2009年まで10年間、ユネスコの事務局長を務めたアジア初の人物だ。2015年の富岡製糸場の世界遺産登録に関しても、群馬県が様々なアドバイスを頂戴したことは間違いない!! 日本温泉協会の関係者が、その松浦元駐フランス大使に、何度もアドバイスを求めていたのだ!!繰り返すが、温泉文化の登録を目指す人たちの努力や熱意が足りなかったわけではない!!政府から、「後回し」にされていただけだ!! 実際、今、温泉文化の登録運動がここまで盛り上がっているのは、初期の頃に地道な運動を積み重ねて頂いた方々の努力のお蔭だと思わずにはいられない!!(感謝)そのことを断った上で、このブログを続けたい!! 2019年の夏、山本一太が新しい群馬県の知事に就任した。翌年(?)の県議会本会議で、自民党から「温泉王国である群馬県の知事として、知事に温泉文化のユネスコ無形文化遺産登録の運動を牽引して欲しい!」という要望が出され、その場で「群馬県知事がこの運動の先頭に立つ!」ことを約束した!! 僭越ながら言わせてもらうと、この運動が本格化したのは、知事である自分が、「やると宣言した以上は、必ずやり遂げる」と明言した後からだ!! 実は、「温泉文化に本気で取り組む!」と宣言する少し前、2020年の1月に、国内初のコロナ感染者が確認されていた。そこから感染者が急増し、日本全体が「コロナ禍」に突入した!! それでも、この運動が(時に中断を余儀なくされても)、止まることはなかった!! 運動の先頭に立つと決めた直後に、参議院の当選同期である馳浩 石川県知事を訪問した。かつて文科大臣を務めていた馳知事は、ユネスコの話を聞いた瞬間に、「いっちゃん、いいね、それ!石川県にもいい温泉が一杯、ある!!ぜひ一緒にやろうよ!」と賛同してくれた!! 先ずは、群馬県と石川県が力を合わせて、この運動を加速してくことを誓い合った!! 国会議員や政府の閣僚も経験した2人の知事が、何度か議論しつつ、本気で実現に向けた戦略を練った。それぞれの県の担当部局も巻き込んで、先ずは、登録を支援してもらう「知事の会」と「与党による議員連盟」を創設する準備に取り掛かった!! 細かいことは書かないが、そこから精力的な活動が始まった。コロナ禍で続きをみる『著作権保護のため、記事の一部のみ表示されております。』
温泉文化のユネスコ無形文化遺産最短登録を実現すべき理由:⑪〜温泉文化の運動に遜色なし!!
