62歳の知事が目指すスマートエイジング(人生の知的成熟)〜何かを始めるのに遅すぎることはない。

2020年6月13日:パート3 23時過ぎ。夜は英語漬け。NBC、MSNBC、CNN(米国の主要ネットワーク)の最新ニュースを次々にチェック。続けて、ハリウッド俳優のドキュメンタリー、米国のTVドラマを見ている。 これでも一応、米国の大学院を卒業した。が、修士号なんて(ちょっと勉強すれば)誰でも取得出来る。ニューヨークの国連機関での勤務を合わせると、米国で5、6年、暮らしたことになる。 にもかかわらず、英語がちゃんと使えない自分自身に唖然とする。最高の環境を生かせなかったことが、とても恥ずかしい。 米国に留学する前、「サイマルアカデミー」という有名な通訳養成学校の同時通訳コース(基礎課)に通っていた時期があった。このスクールの創設者の1人は、日本を代表する同時通訳者だった故・村松増美先生だ。村松先生の「私も英語が話せなかった」は、何度も読んだ。 その村松先生と一緒に、時々、夜の六本木に遊びに行った。80年代の初めだ。当時は、好奇心の塊みたいな20代の青年だった。 授業が終わると、ディスコで踊ることが趣味だった村松先生が、受講生達をよく「レキシトン・クイーン」(バブル時代の有名店)に連れて行ってくれたのだ。 授業で溜まったストレスを発散した後は、皆で先生を囲んでお茶を飲んだ。この課外授業が最高だった。その時、村松先生に言われた言葉が、今も胸に刻まれている。 「山本さん、あなた続きをみる

『著作権保護のため、記事の一部のみ表示されております。』