2021年1月24日 本日、63歳になった。昨年夏に知事に就任してから2度目の誕生日だ。 地元後援会の幹部(兄貴分)や親しい友人たちから、メールやSNS等を通じてお祝いのメッセージが届いている。 「お誕生日、おめでとうございます。とても63歳には見えません。せいぜい53歳くらいでしょうか?」「63歳。今の時代だと働き盛りですね。知事の仕事は大変だと思いますが、頑張ってください。」等々。お世辞だと分かっていても嬉しい。 よく考えたら、1歳、年を取っただけだ。が、自分の誕生日を覚えていて(又は気がついて)、わざわざ連絡してくれる人たちがいる。それだけで、体内の免疫が上昇する感じがする。皆さん、ありがとうございました。 生まれ育った故郷(群馬県)を少しでも良くするチャンス(知事という肩書き)を与えられてから1年半が経過した。特にこの1年は、苦しくて過酷な日々だった。が、(過去のブログでも何度か言った記憶があるが)同時に、63年の人生の中で、ある意味、これほど充実した毎日を過ごした時期は一度もない。この1年を振り返ると、そう思わずにはいられない。 山本一太は、群馬県で生まれて群馬県で育った。その自分が、県民の代表である知事として、故郷の発展に尽くせる。政治家として、こんなに幸運なことはない。 法律や制度を作る「ルールメーカー」である国会議員もやり甲斐のある仕事だった。が、自らが「現場のプレーヤー」として県民の先頭に立ち、自らの判断で実際に政策を実現出来る知事に比べたら、その臨場感や緊張感、醍醐味は、比べようもない。「これだけやり甲斐のある職業は、今の世の中を見回してもなかなかない」とさえ思う。 今から18ヶ月前、知事選出馬の際に発表した政策集の中の冒頭の一節、「群馬県知事になることは、自分にとって、どんな重要閣僚をやるより価値がある」という言葉の意味を噛みしめている。あの時、知事になることを選んだ自らの選択は、決して間違っていなかった。今日、そのことを、改めて確信した。 こんなことを書くと、「欠点だらけの知事なのに、僭越だ」と叱られてしまいそうだ。が、正直、こうも感じている。「このタイミングで群馬県知事になったのは、ある種の運命だ。今、自分が群馬県知事で本当に良かった」「新続きをみる『著作権保護のため、記事の一部のみ表示されております。』