相馬焼は途絶えたが…

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相馬焼は、福島県双葉郡浪江町一帯で生産される焼き物。江戸末期には100数戸の産地となり、一大窯業地帯と発展した。その後、大正期に入ると窯元も30戸と激減したが、戦後に再び発展し、昭和53年には国の伝統的工芸品としての指定を受けた。

平成23年3月、東日本大震災に伴う原発事故により、相馬焼産地一帯が帰還困難区域となり相馬焼従事者の多くも移住を余儀なくされたが、現在でも8軒の窯元が伝統の灯を守るべく、それぞれの移住先で事業再開している。

「あさか野窯」初代窯主 、相馬焼窯元16代目志賀藤右衛門氏は相馬焼の灯を絶やさないため、福島県浪江町の被災地から郡山市に移住し窯業に傾注する傍ら、子どもたちに陶芸の楽しさや培われた技術を伝えている。

さて、学生時代、窯業の勉強をし、卒業後も窯業で働き相馬焼に魅せられていた丹羽麻里子さんは、震災当時習っていたギターの師匠である近藤さんから、震災ライブの提案を受け、同年から東日本大震災復興支援ライブ&チャリティ物販の支援を始めた。丹羽さんの願いは被災地支援とともに、被災の記憶を風化させないこと。当初は仮設住宅にお金を送ったり、楽器を送ったりしてきたが、丹羽さんが魅せられていた相馬焼の窮状を知り、震災ライブの収益金はすべて、「あさか野窯」での子どもたちの活動に送っている。

それぞれの東日本大震災。震災の教訓を次世代につなぐことで、いのちをつなげる必要を皆が感じている。
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横井利明
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