阪神淡路大震災から25年

平成7年1月17日早朝、私は神戸市役所に市会特別委員会行政調査で訪れるため、名古屋駅に他の議員とともに集合していた。しかし、新幹線運転再開の見通しが立たないとの連絡が入ったため、やむなく特別委員会委員長の判断で神戸市への視察を断念。自宅へ帰った。名古屋駅ではあのような大惨事になっているとは誰もが理解していなかった。

午前10時ごろ自宅にもどってテレビをつけたところ、ビルや高速道路、新幹線橋脚などが軒並み倒壊し、あの美しかった神戸のまちが瓦礫と化している映像を見て驚愕した。また、あちらこちらで発生する火災に対し、なすすべなくまち全体がが火に包まれていく映像を目の当たりにし足が震えた。

近隣の方々が自主的に始めた被災地に物資や食料を支援する活動に私も協力させていただいた。各家庭で炊いたご飯をおにぎりにしたり、毛布を集めたり、簡易な食糧を集めたりして、救助物資をトラックに満載し、その日のうちに神戸へ走った。夜半には神戸に到着したという。後日うかがった話だが、昭和34年の伊勢湾台風による堤防の決壊であたり一帯が浸水する中、食料や物資を届けてくれたボートの船体に「神戸市」と表示があり、困ったときにおにぎりをいただいたその感謝の気持ちからいてもたってもおれず、おにぎり等での救援活動を思い立ったとのことだった。

死者・行方不明者6,437人、重軽傷者は4万3,792人、観測史上初となる震度7を記録し、住宅の全半壊が計約25万棟、一部損壊が約39万棟に上り、経済被害は約9兆6,000億円という阪神淡路大震災から今日、1月17日で丸25年を迎えた。被害にあわれた方々にお悔やみとお見舞いを申し上げます。

一方で、阪神淡路大震災を契機に、名古屋市においても地震対策は進んでいる。他の政令市との災害時における応援協定や近隣自治体との連携が進んだ。また、医師や看護師、歯科医師や薬剤師らの災害派遣医療チームが組織されたり、被災地におけるボランティアなどの支援の輪が広がるきっかけともなった。被災者生活再建支援法も阪神淡路大震災がきっかけだ。

しかし、公共施設や自宅の耐震化、耐震性防火水槽の設置、堤防の液状化対策、避難所運営訓練などは進むものの、果たして阪神淡路大震災のような都市直下型地震が発生した場合、いったいどこまで対応できるのか私には未だ判断がつかない。阪神淡路大震災から25年を契機に、今日までの取り組みを今一度検証し、来るべき災害に万全の態勢で備えることができるようこれからも努力したい。
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横井利明
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