盟友、吉田博美 前参院自民党幹事長の訃報に呆然〜卑怯なことが何より嫌いな立ち技の政治家だった!

2019年10月27日:パート2 夕方。吉田博美前参院幹事長の訃報が飛び込んで来た。知らせを聞いて、一瞬、絶句した。自分にとっては、政界の盟友の1人だった。 参院自民党の要職を歴任し、実力者になるずっと前から親しかった。なぜか、とても気があった。年に何回かは、2人きりでカラオケを歌いに行った。政局では違う側に立つことが多かったが、2人の友情は変わらなかった。 長野県議会議長を務め上げた後、参院議員に転身。地方政治を熟知した叩き上げの党人派だった。参院のドンと言われた青木幹雄元議員会長を師と仰いでいた。練達の政治家というイメージがあるが、変な寝技は一切、使わなかった。実は、真っ向勝負(立ち技)のひとだった。 嘘をつかず、陰口を言わず、自分が目立つことが嫌いだった。24年間の政治生活の中で、図らずも国対委員長になり、望んでいなかった幹事長になった議員は、このひと以外に思い当たらない。「自分の役回りは、縁の下の力持ちなのに…なあ」とこぼしていた。 吉田博美氏が理想としていた政治家像は、江戸中期の信濃松代藩の家老で、藩財政の立て直しを行なった名家老の恩田木工(もく)。「ウソをつかない」「いったん命じたことを撤回しない」という姿勢を貫いた恩田木工の生き方に、自らの人生を重ねていたに違いない。 参院自民党のトップを決める政局で2度、真正面から戦った。最初はこちらが勝ち、2度目は敗れた。最初の勝負が終わった直後に、本人から握手を求められた。「やるからには頑張ってください!」と言ってくれた。「スゴいひとだ!」と思った。 2度目の対決でこちらが負けた後も、ずっと気を遣ってくれた。周りには、口癖のように、「山本一太はオレの盟友だ。彼のお陰で安倍総理との信頼関係が築けた!」と話していたそうだ。 参院自民党の政局をめぐっては、生涯、許すことの出来ない悔しい出来事があった。その時、卑怯な振る舞いを何より嫌う吉田さんが、本気で怒ってくれた。 「一太さんの気持ちはよく分かる。あの人物の信義の欠片もない行動は、絶対に許せない!このことは、お互いに忘れないようにしよう!」と。この言葉は、涙が出るほど嬉しかった。 「知事選に出馬するかどうか?」の最後の決断を迫られていた時期も、立候補を決意した後も、一貫して応援してくれた。会う度に、「誰が相手だろうと、山本一太が選挙に負けるはずがな続きをみる

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