ヤマトタケル(日本武尊)の妻、ミヤズヒメ(宮簀媛)の墓との言い伝えがある東海地方最大の前方後円墳「断夫山古墳(だんぷさんこふん)」の本格的な発掘調査に先立ち、現地では範囲を確定するための試掘が行われている。3月24日(火)午後には、地元熱田区選出の服部しんのすけ市議ともども試掘現場を視察した。なお、愛知県教育委員会文化財保護室、名古屋市教育委員会文化財保護室、学芸員も立ち会った。
断夫山古墳に周濠があることは文献等でも知られていたが、発掘調査によって周濠の存在が明らかになったのは今回が初めて。なお、周濠の深さは地表から230㎝程度、その上には中世の地層、さらにその上には江戸期の地層、そして戦後の地層が確認できた。なお、熱田台地の地層は黄土色であり、戦後の地層は瓦礫が多くみられた。
また、周濠の中から、5世紀末から6世紀初めのものとみられる須恵器や円筒埴輪の破片が数多く出土。今後の発掘調査が楽しみだ。
今後、愛知県教委、名古屋市教委は、現在は埋め立てられ改変されている断夫山古墳を取り巻く周濠の規模を確定したい考え。その後、保存活用計画を策定した後、文化庁との協議や現状変更許可を経て、本格的な発掘調査に入る。
いずれにしても、断夫山古墳は、未盗掘・未発掘の極めて貴重な古墳であり、全国の考古学者が注目する発掘事業。ヤマトタケルノミコトやその妻ミヤズヒメノミコトの手掛かりになるような埋蔵物への期待が集まるだけでなく、観光資源としてもその価値は高い。なお、令和2年度に行う発掘事業では、一般公開も検討するとのこと。規模 全長約151m、全幅116m、高さ16.3m(東海地方最大)築造年 5世紀末から6世紀初め?経緯 断夫山古墳は、永らく熱田神宮の所属地として管理されてきた。第二次世界大戦後、名古屋市の戦災復興事業として仮換地され、昭和55年に愛知県の所有になった。この間、愛知県都市公園として整備がすすめられた。昭和62年7月9日に国の史跡に指定された。
■ ヤマトタケルと断夫山古墳「古事記」「日本書紀」では、「ヤマトタケルは東征の折、この尾張の地で豪族の娘ミヤズヒメと結婚の約束をかわしたが、東征の帰途病気がもとで死に、白鳥となり飛去った」とある。この白鳥となったヤマトタケルの墓が白鳥古墳であり、ヤマトタケルへの思いをいだいて死んだミヤズヒメの墓がこの断夫山古墳であると伝えられている。
■ 周濠とは
古墳の周囲に掘られた堀
(←江戸期の層から出てきた寛永通宝)