与野党質疑など

 石破 茂 です。
 13日の福島県を中心とする地震で被災された皆様に、心よりお見舞い申し上げます。
 防災省の創設の必要性を改めて思いました。

 15日月曜日の予算委員会集中審議における野田佳彦元総理の危機管理を中心とした質問は、最近の低調気味な国会論戦の中にあって、久々に聞き応えのあるものでしたが、時間が40分と短かったのはとても残念に思いました。立憲民主党は他の質疑者の時間を削ってでも1時間、出来れば1時間半は時間を取るべきでしたし、水曜日の前原誠司議員の安全保障に関する質疑の際にも同じことを感じました。
 第一次安倍内閣での参院選敗北で衆参の与野党のねじれが生じて以降、野党・民主党(当時)の野田氏、岡田克也氏、前原氏などの「次(影)の内閣(シャドーキャビネット)」のメンバーによる、一人1時間半にもわたる質疑は相当に内容の濃いもので、福田内閣、麻生内閣の閣僚席は緊張感に包まれていたことを当時の内閣の一員としてよく覚えております。現職閣僚と「影」の閣僚との各分野における丁々発止の論戦は、有権者に「どちらの内閣がよりよいか」を考える機会を提供したのではないかと思います。
 批判と不祥事の追及に終始して、具体的・現実的な優れた政策が提示出来なければ、有権者からは決して評価されません。当時の民主党議員の多くはそれをよく認識していたようでした(結果的にはそのほとんどは幻影でしたが)。その経験がある議員が少なくなったためか、そもそも今の野党には「次(影)の内閣」自体が存在しておらず、これでは国民は評価の仕様がありません。支持率が低迷するのは極めて当然のことでしょう。

 野党時代、谷垣総裁の下で自民党政調会長を2年、予算委員会の筆頭理事を1年務めました。自民党の「影の内閣」の閣僚としての部会長が予算委員会や各委員会で質疑に立ち、民主党政府の閣僚と渡り合って「やはり自民党の方が良い」と国民に思って頂くべく、政務調査会の人事や予算委員会の質疑者の人選は実力本位で行いましたし、質疑終了後は反省会を開催し、ディベートの専門家から容赦のない批評を仰いで改善に努めました。我々が駄目になったら日本の終わりだ、という切実感が、当時の自民党内には横溢していたように記憶します。
 今の野党からはそんな気迫が感じられません。政治全体が緊張感に欠け、主権者である国民の選択による政権交代の可能性を目的として導入された小選挙区制度はその欠点ばかりが目につきますが、これでは有権者は「与党も野党も駄目で選択肢がない」という思いになり、投票率はますます低下して、棄権という名の消極的賛成が増え、民主主義は機能不全に陥ってしまいます。
 今週も党所属議員の不祥事や、総務省幹部の失態などが明らかになりましたが、自民党内も野党経験のある議員が過半数を割り、逆の意味で野党と似たような状態になっているのかもしれません。「あのような野党にこの国が任せられるはずはない」との論法が有権者に通用する限り、自民党内の改革は格段の前進を見ないのかもしれません。かつての自民党であれば、このような時に若手議員とベテラン議員とが連携して党改革本部的な組織を立ち上げて侃々諤々の議論を展開したものですが、自分の力の不足を痛感するばかりです。
 去る13日土曜日に、故・新井将敬議員の23回忌に参列した際、政治改革論議を熱く交わした当時のことを思い出しながら、そのように思いました。

 前原議員は総理に対して領域警備法制の必要性を訴え、共感するところも多かったのですが、総理の答弁が従来の域を出なかったことは残念でした。中国が外見上は「白い船」であるコーストガードの海警を人民解放軍傘下の軍として位置付けた以上、繰り返される我が国領海への「無害でない通航」に対して、わが国の海上自衛隊の護衛艦が対峙する可能性が高く、その場合に中国が「我が国の『コーストガード』に対して日本は『軍艦』で対応した」との批判を国際社会に対して発することは必定であり、これがまさしく彼らの狙いであるように思われます。海上保安庁に領海警備的な任務を与え、「海保は軍隊としての機能を営まない」ことを定めた海上保安庁法第25条を改正することが喫緊の課題であると考えます。

 森会長の後任人事は橋本聖子氏に決まりました。選考方法はもっとオープンであって欲しかったのですが、橋本新会長ご自身は芯の強いとても立派な方で、大任を果たされることを願っています。
 東京オリンピック・パラリンピック開催の可否を問う声も多くありますが、オリンピックが一般の国際競技大会と決定的に異なるのは「国境・人種・性別・政治体制・経済格差」等々を越えて、古代オリンピック以来の「人々の連帯による戦争のない世界」を希求するところにあるのでしょう。もちろんナチス政権下のベルリン大会のように、国威発揚と力の誇示を目指した大会もあり、綺麗ごとばかりではありませんが、人類として「せめて4年に1度は戦争のない世界を」という思いを継承することは大切です。
 「復興五輪」や「人類が新型コロナに打ち勝った証」というスローガンは、あまり多くの国民の共感を得ていないかもしれませんが、そうであればそれを越える、国内のみならず世界が共感するメッセージを発することが出来るかが問われているのだと思います。
 1964年の東京大会の際、私は鳥取市の小学2年生でしたが、戦災からの復興と共に、新たな世界の到来を子供心に予感したことを覚えています。

 皆様、ご健勝にてお過ごしくださいませ。

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石破茂
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