ヒューマニズムを貫いて

 今日は党の大先輩であり、「日本資本主義発達史講座」刊行へ尽力した野呂榮太郎の命日。没後87周年の墓前祭・碑前祭にて、遺志を継ぎ、必ず総選挙勝利をと誓いました。

 野呂家の墓は1960年7月、札幌平岸霊園に建立されました。出生地である長沼町には1974年、記念碑が建てられています。野呂は87年前の今日、特高警察による激しい拷問と、肺結核にむしばまれながら33歳の若さで生涯を閉じました。治安維持法が適用されて、北海道民で最初に逮捕されたのが学生時代の野呂だったといいます(学連事件)。その後も日本共産党員ではない多くの研究者とも議論を重ね、先の「講座」へとりまとめに力を発揮したのが野呂でした。日本共産党の幹部としても奔走しますが、スパイの手引きにより逮捕・拷問を受けたのです。野呂の人生は絶対主義的天皇制のもとで奪われたとしても、彼の学問的業績と生き方までもは奪うことなどできません。理論的に明らかにした社会を変える方向を土台に、今の私たちの活動があるのです。

 子どものころに右足を切断したことも、野呂の人生観には大きな影響を与えたかもしれません。北海中学の時に同級生だったという真鍋真次郎さんが、1984年2月19日付「ほっかい新報」に以下のような一文を寄せていました。ご紹介します。

 「野呂は、りこうであたたかいという以外に、何よりも人格的に人間的な体質で非常に重み、強みのある尊敬すべき人だったと思う。日本資本主義発達史では直接に触れているわけではないが、資本主義が発達したことのおこりがヒューマニズムということに欠けているということ、それが天皇制などで固まったということ、これが基礎になっていると思います」

 ヒューマニズムを奪っていく資本主義、さらに人間の自由や民主主義を奪った絶対主義的天皇制-ーそれを理論的に明らかにし、みずからの生き方として貫いた野呂の姿は広く影響を与えていたのだと感銘を受けました。新型コロナウイルスが流行し、人間らしく生きるために私たちは何をすべきか突きつけられている今、野呂の遺志を継がなければならないと心から思います。命を守る最前線にて働く方々、明日の商売やくらしを心配している方々、食べることさえ困っている学生たちなどのもとへ、きっと野呂なら飛び込んでいたことでしょう。

 国民には罰則や負担を強いながら自らは夜に飲み歩いたり、女性に対する差別・侮辱を当たり前のように発する政治家などを目の当たりにする連日。菅首相も、苦難の国民に対して自己責任を強いる冷たさです。ヒューマニズムある日本へ進むため、市民と野党の共闘で必ず政権交代を果たしたい。そして野呂の遺志を継ぐ議席として、私も比例議席の奪還へ全力を尽くすことを墓碑の前で誓いました。

 その後は大竹登町議と由仁町立診療所へ、薮田享町議とは長沼町内で「つどい」に取り組みました。「つどい」では「何をなすべきかを中央からでなく、地方から考えてほしい」という政策上の意見もあり、診療所で聞いた「地域医療を支えてくれる医者の存在は大きい」との言葉が重なりました。「つどい」には農家の方も多く参加されていて、国の農政に対する不満も多く聞かれました。どこに軸足を置いた政治をすべきか、野呂からも地域からも学ばされた1日でした。

 【今日の句】先輩の生き方 胸に響いてる

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畠山和也
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