杉原千畝展へ

ビザ第二次世界大戦中にナチス・ドイツなどの迫害を逃れてリトアニアにやって来たユダヤ人ら避難民に、日本への「命のビザ」を発給した外交官杉原千畝。杉原千畝が発給した「ビザの公開」をはじめとするさまざまな資料が一堂に公開される「生誕120周年 杉原千畝展 命のビザに刻まれた想い(名古屋タカシマヤ)」におじゃました。

1940(昭和15)年7月18日の早朝、ポーランドからリトアニアに逃亡してきたユダヤ系避難民が、ソ連によるリトアニア併合の動きから早急に国外への脱出の必要を感じ、日本領事館に通過ビザを求めて大勢殺到した。杉原千畝は外務省に対してユダヤ人に対するビザ発給の可否を求めたが、外務省からの命令は「発給要件を満たさぬ者へのビザの発給はならぬ」というものだった。しかし杉原千畝はユダヤ系避難民に対し、2,000通をこえるビザ発給をおこなった。

さて、杉原千畝展では、杉原千畝が発給したビザの現物や貴重な家族写真、千畝が描かれた顕彰切手やイスラエル政府より贈られた「ヤド・バシェム賞」などが所狭しと並べられていた。

晩年、杉原千畝は「苦慮、煩悶の揚句、私はついに、人道、博愛精神第一という結論を得た。そして私は、何も恐るることなく、職を賭して忠実にこれを実行し了えたと、今も確信している。」と語っている。

「職を賭して...」

自らの身を顧みず信念を貫き通した杉原千畝の決断と行動。自分に置き換えた時、何か恥ずかしくなる。
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横井利明
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