先輩の積み重ねがあるからこそ

 円山公園駅前や札幌中心街などで宣伝した後、急いで着替えて苫小牧市へ。党中央委員などを務めた外尾静子さんの通夜なのです。

 外尾さんは国後島の生まれで、お父さんが教師を勤めていた影響からでしょうか、札幌の師範学校を卒業されてから同じく教師の道を歩みます。出兵となった校長先生の代理として、19歳ながら戦争当時の全児童に責任を負う立場となったのは、時代の偶然だけでなく6人きょうだいの長女であった責任感の強さも反映されたのだと思います。

 戦争が終わっても父親は旧ソ連に抑留され、母と家族で夕張市に移ります。再び教師となるものの様々な矛盾を感じるなか、1960年に安保闘争のもとで日本共産党に入党されました。教職員組合運動や新日本婦人の会などで活動の幅を広げ、その後は国政選挙に5回挑戦。いずれも善戦・健闘の結果でしたが、その信頼は確固としたもので、党の中央委員としても長く役割を果たされました。

 戦争の苦難も経験して94年、先日28日に激動の人生の幕を閉じられました。

 私にとっては、外尾さんが役職を退いてからお世話になってきたため、当時の様子を直接にはわかりません。しかし、国政選挙にも挑戦して信頼も厚かった外尾さんの活躍は、至るところで耳にしました。

 多くの先輩が切り拓き、積み上げてくれた道を私たちが歩いています。そういえば今日の宣伝中でも、握手を交わした男性が「小笠原貞子さん(参議院議員)の演説は迫力あった」と話をされました。北海道で活躍された大先輩の一人です。

 今と違う時代だからこその困難や政治的高揚があった中で、どのような思いで活動されてきたのでしょうか。そう思うと外尾さんからもっと話を聞けばよかったと、いま後悔の念に駆られます。

 今日の私の1回1回の演説も、歴史を前に進める力となっているだろうか。謙遜や疑問という意味でなく、先輩たちの生き方から学んで、1日1日を大切にしていきたい。どんな時代も「国民の苦難軽減」という日本共産党の根本には変わりなし。恥じない活動をと誓った1日でした。

 【今日の句】時代とは 誰かが決める ものじゃなく
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畠山和也
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