震災2年を控えて

 紙智子・岩渕友参議と厚真町の山腹崩落現場や追悼式へと足を運び、むかわ町・安平町・札幌市清田区もまわりました。明日で2年となる北海道胆振東部地震。松橋ちはる小選挙区9区予定候補も合流して、亡くなられた方への心からの哀悼を表しながら、前へ進むための課題も仮設住宅などでうかがいました。

 民家が近い崩落現場では土留めが施されているものの、写真で私が指さしている方での崩落現場は後回しになっています。一気にすべてが解決できないと思っていますが、2年を経っても復旧・復興には、さらに時間が必要なのだと痛感します。土曜にもかかわらず多くのトラックが行き来していて、慌ただしく工事が進んでいる様子が、さらに復興へのリアルな一断面なのだと実感しました。

 追悼式で宮坂尚市朗町長は、「応援団が多くいる。厚真町を悲しい町では終わらせない」と決意を込めた式辞を述べられました。何度も宮坂町長からは話を聞いてきただけに、胸に迫ってくるものがありました。

 その後は伊藤富志夫町議と、表町仮設住宅団地へ移動。お世話役のように頼りにされている犬飼正規さんから話をうかがいました。犬飼さんは震災4日後の避難所で、脳梗塞に見舞われました。一命はとりとめたものの、戻った先は依然として「密」の避難所。表町仮設住宅には一番乗りだったこともあったのでしょう、お世話役のように頼られてきたのです。

 厚真町では災害公営住宅が建設されて、来月から引っ越しが始まる予定になっています。しかし、敷金+駐車場代の3ヵ月分を敷金と町が検討していたため、犬飼さんたちから意見が湧き起こり、町議会では伊藤町議が追及したことから一律の支援金制度が実現したのです。「伊藤さんが代弁してくれました」と、犬飼さんの笑顔が心に強く残りました。

 むかわ町では仮設店舗・仮設住宅のほか、紙議員が国会にて実現させた補助制度で建てられた穀類乾燥調製施設にも足を運びました。北村修・大松紀美子・舞良喜久の3町議も同行してくださいました。施設の屋上にまで上げていただき、むかわ町に接する海や水田を眼下した時に「故郷っていいな」と思いました。

 乾燥調製施設では、JAむかわの長門宏市場組合長がお待ちくださっていました。「この施設ができて、生産者の生産意欲が湧いています」と長門組合長さん。地震直後から見れば、これだけ前進して農業に励めることは考えられなかったかもしれません。農協職員のみなさんの顔も明るい。このような、お役に立てる仕事にも力を尽くさねばと思いました。

 安平町・早来の仮設住宅では、ご自身の健康不安がコロナ禍でさらに高まっていることが語られました。喘息の悪化で苫小牧市の病院に通っているという方は、空いている時間帯のJRに乗るようにしていると言います。別の方からは、完治はしたものの札幌まで通わざるを得なかった話をうかがいました。その一言一言に、三浦恵美子町議とうなずきながらメモをとりました。

 高齢者にとっては、何かの際に家から連絡が取れる仕組みが必要です。各自治体で具体化されてきているものの、まだまだ情報が行き届いていない方もいるのです。町職員も大変なことと思いますが、知恵を出して突破できるよう、私も力を尽くしたい。

 日の落ちる前に間に合ったのが、札幌市清田区里塚。吉岡弘子市議と、盛田久雄町内会長から現状をうかがいました。盛田さんは「地震当初は2~3割の人は戻ってこないと思っていたが、9割近い方が戻ってくれることに。この地域なら安心して住めると思っているのだと思います」と語られましたが、避難された方も含めて、町内から情報などを届けていたことが結びつきをさらに強めたことと、強く感じました。

 今年中に生活インフラにかかわる工事は終えるとの見通しですが、地域の公園整備は来年度以降になるようです。その公園での夏祭りを楽しみにしていた方もいるんですよ、と盛田さん。「公園の整備が終わり、コロナも落ち着いているのなら、夏祭りのようなイベントをやりたい」との話も聞いて、公園が「復興のシンボル」としての役割を担う場所なんだと、あらためて実感しました。

 いずれにしても、2年という年月が多くのものを変えてしまいました。今日は触れていませんが、ブラックアウトの検証も必要です。「いっしょに力を尽くします」と紙議員。私も同じ思いでいます。

 【今日の句】積み上げた 支えの歴史 受け止めて

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畠山和也
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