谷村新司さん、岩國哲人先生ご逝去など

 石破 茂 です。
 谷村新司さんのご逝去の報に接し、いささか寂しい思いが致しました。享年74歳。御霊の安らかならんことを切にお祈り申し上げます。
 昭和23年のお生まれだったので私より少しだけ上の世代になりますが、大ヒット曲である「昴」(昭和55年)や「群青」(昭和56年)はもとより、「帰らざる日々」(昭和51年)や「秋止符」(昭和54年・作曲は堀内孝雄)の2曲がとても好きでした。私が大学生や駆け出しの銀行員だった頃で、今でもこれらの曲を聴くと夢があって甘く切なかった当時のことが鮮やかに思い出されます。「群青」は東宝映画「連合艦隊」の主題歌ですが、ラストの場面で流れるこの歌は哀切感に満ちて極めて印象的でした。当時はオフコースや風の全盛期で、LPレコードやカセットテープを買い求めてはよく聴いていたものです(CDがまだなかった時代です)。オフコースでは昭和55年発表の「時に愛は」、風では昭和51年発表の「ほおづえをつく女」が特に好きでした。ひとつの時代が終わりつつあることを実感せざるを得ませんが、アリスの堀内孝雄さんや矢沢徹さん、オフコースの小田和正さんや風の伊勢正三さんはまだまだ現役でご活躍中ですので、今後一層のご健勝を心より願っております。

 島根県出雲市長や衆議院議員を歴任された岩國哲人先生が6日、シカゴの病院で87歳で逝去されました。民主党副代表もお務めになっておられましたが、退任後、当時私が会長を務めていた自民党政務調査会の顧問にご就任頂きました。国際的な広い視野と卓越した見識をお持ちの方で、下野していた自民党の再生にお力を賜りたかったのですが、それを十分に生かせなかったことをとても申し訳なく思っております。どうか安らかにお眠りくださいませ。

 ロシアとウクライナの戦争の見通しが全く立たない中、ハマスのイスラエルへの攻撃とイスラエルの反撃がかつてない烈度で始まり、国際情勢は混沌と緊迫の度を増しています。バイデン大統領は「ハマスの攻撃は許されざるテロ行為」であり「これに報復するのはイスラエルの権利であるとともに責務である」「アメリカはイスラエルと共にある」と述べていますが、今回の事態を国際法的にどのように理解するべきなのか、段階を追って整理する必要があります。ハマスは国際紛争の当事者たりうる「国または国に準ずる組織(排他的な領土、アイデンティティを共有する国民、その地域を統治する機構の存在が国家の三要素)」ではありませんから、今起こっている事態はどんなに被害が甚大であっても国際紛争とは評価されず、イスラエルが行使できる権利は警察権であって自衛権ではない、というのが従来の国際法的な理解のはずです。

 9.11同時多発テロを仕掛けたアルカイーダも、領土も国民も統治機構も有さないため国際紛争の主体とは評価されませんでした。にもかかわらずアメリカは個別的自衛権の行使、NATO諸国はアメリカに対する集団的自衛権の行使と表明しました。これは、アフガニスタンのタリバン政権がアルカイーダを匿って、アメリカの警察権の行使を阻害していたので、これをまず打倒するための自衛権行使が正当化されるというロジックでした。しかし、ハマスと、パレスチナ解放勢力(PLO)の主要勢力で現在パレスチナ自治政府の政権を担っているファタハは対立関係にあり、今回この構図が妥当するとは思えません(ガザ地区においてハマスが政権を担っているとの見解があることは承知しております)。
 昨日の国連安保理事会で提出された「人道支援のための戦闘の一時中断の決議」はアメリカ一国の拒否権の行使によって否決され、その理由は「決議案の中にイスラエルの自衛権についての言及がない」というものでした。しかし、イスラエルが現在行使しているのは、果たして国連憲章が定める「自衛権」なのでしょうか?そして今後ガザ地区におけるハマス勢力を一掃するために行われるであろう実力行使においてもまた同様の論理が用いられるのでしょうか?
 面倒な法律論を持ち出すな、とのご批判を浴びそうですが、わが国が「国際法に基づいて外交政策を展開する」ことを標榜している以上、現状の法的整理はどの国よりもきちんと行わなければなりません。国際法を熟知していることが周辺国へのけん制ともなりますし、この点を詰めておかなければ、感情論に基づいた殺戮行為の限りない拡大を止めることはできません。21世紀のテロの恐ろしさは、従来は国家しか持ち得なかったような強力な破壊力を、テロリストやテロ組織が保有するようになった点にあります。20年以上前に自民党で憲法第9条の改正を議論した際、私は「憲法第9条第2項の全面改正は勿論のこと、1929年に発効した不戦条約をほぼそのまま書き写した第1項の『国際紛争を解決する手段としては』の部分も『侵略の手段としては』と改めるべきだ」と主張して舛添要一参院議員(当時)と大論争になったのですが、あの時もっと議論を詰めておけばよかったと悔やまれてなりません。いわゆる自衛隊明記案(第9条第1項、第2項はそのまま存置し、新たに自衛隊を明記する第3項を新設する)の提案者に悪意や邪気があったとは思いませんが、その場しのぎの不徹底な議論は必ず後世に禍根を残します。

 昨今の新たな経済政策の議論の中で「成長の果実を国民に還元する」とのフレーズが語られます。発端は9月25日に総理が「経済成長の成果である税収増を国民に適切に還元すべく対策を実施したい」と発言されたことにあります。しかし、税収増は本当に経済成長の成果なのでしょうか?本欄で何度か述べたように、名目賃金が上昇すれば実質賃金が上がらなくても所得税は増収となりますし、物価が上昇すれば消費税は当然増収となります。円安で大きなメリットを受ける一部の輸出大企業が増収・増益となれば法人税も増収となるのですが、これを「経済成長の成果」と言うのにはかなりの違和感を覚えますし、「国民に還元する」と言ったときの「国民」は現在の国民だけなのでしょうか。将来の国民のことは考えないのでしょうか。
 コロナ禍の3年間に講じた総額40兆円にもなる経済対策によって我が国の財政は極度に悪化し、いつかは必ず到来する次の経済危機の際の対応力は大きく失われつつあります。増税はいつの時代も極めて評判の悪いものですが、経済情勢の変化により税負担能力の高くなった世帯や法人に、応能負担の原則に従って相応の税負担増を求めるのは当然のことだと思います。
 憲法第14条が定める法の下の平等は実質的な平等を指すと解されるので、税負担が応能負担であるべき根拠はここに見出されるのですが、今の税制は必ずしもこの趣旨を体現しているとは言えません。税収増の部分は防衛費や少子化対策の財源に充て、税負担能力が増した層からの税収増分を低所得者層の負担減に充てるというのが一番すっきりした論理のように思います。「選挙を控えた人気取りの意図が見え透いた減税」「大企業と富裕層に奉仕する自民党」などという批判を浴びないためにも、応能負担の在り方について自民党内で徹底した議論が行われることを強く望みますし、自分としての考えをより精緻なものにまとめてみたいと思っております。

 今日の都心は爽やかな秋晴れの一日となりました。皆様よい週末をお過ごしくださいませ。

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石破茂
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