石破 茂 です。
今週17日・18日に行われた衆議院予算委員会の質疑は、その時間の多くが旧統一教会問題に費やされ、外交についての議論はほとんどなく、安全保障も防衛費の増額の是非と財源論に終始した感があり、やや残念な思いが致しました。ロシア・ウクライナ、中国・台湾等々問題は山積しているのに外交に関する質問が極めて少なく、林大臣が手持ち無沙汰な様子であったことには、強い違和感を覚えました。
旧統一教会が重大な問題であることは論を俟ちませんが、総理大臣が、所轄庁である文科省(文化庁)に対して、宗教法人法に定める質問権を行使することの検討を命じたことで一歩は前進したものと思います。質問の内容を検討する専門家会議の議論や宗教法人審議会(宗教法人法によって設置された文科大臣の諮問機関)への諮問などを粗略にしてはなりませんが、濃密かつスピード感を持った対応が望まれます。文化庁は質問権を行使するものの、独自の捜査権や機関を持ってはいませんので、自ずから一定の限界があるのかもしれません。強大な権限を有し、「公益の代表者」である検察が今回裁判所に対する請求を行わない理由が今一つ不分明ですが(オウム真理教の場合、検察は東京都と共に請求しました)、文化庁に対して検察官の出向などの協力が行えるのかどうか、前例は一つもないながら宗教法人法が定める「裁判所の職権による解散命令」はどのような場合を想定して設けられた規定なのか等々、よく調べてみたいと思っております。
統一教会の信仰と一体となった霊感商法で印鑑を販売していた有限会社「新世」の幹部が東京地裁で執行猶予付きの有罪となった2009年の「新世事件」の際、所轄庁や検察から解散命令の請求がなされなかったことや、2015年に統一教会が「世界平和統一家庭連合」に名称変更されたことについて、教会と深い関係を有する自民党が特段の便宜を図った、などと一部報道されており、そのような事実はなかったと明白にするためにも、本問題については徹底して峻厳な姿勢で臨むべきものです。19日水曜日の参議院予算委員会の質疑で、総理は前日の衆議院予算委員会での答弁を修正し、民法上の不法行為も宗教法人法第81条にいう「著しく公共の福祉を害すると明らかに認められる行為をしたこと」に該当し得る、と述べました。刑法上の犯罪には当たらず、民法上の不法行為のみに該当する場合で、なおかつ宗教法人法に定める厳格な要件に該当するのはどのような事例なのか、どこかで政府から例示が出るとわかりやすいのではないかと思います。
宗教法人が税法上などにおいて法的な優遇を受けるのは、世の中のためになる「公益性」を有するからなのであって、その法人と「絶縁する」のならばその理由を示し、法的な手当てをしなければ筋が通らないのは自明のことです。政府として法的な問題点、あいまいな点をよく精査し、今後のより良い制度設計につなげる議論にしていきたいと思っております。宗教とお金儲けは洋の東西を問わず昔から深い関係があったようで、宗教改革の発端となったとされるマルチン・ルターの「95か条の論題」(1517年)は、当時のローマ・カトリックが贖宥状(免罪符)を発行して行っていた金儲けを厳しく批判したものでした。中学や高校の歴史の時間に習ったことを久々に思い出しましたが、ただ年号を暗記するだけであまり深い内容を理解していなかったことを今更ながらに反省しています。
17日月曜日の予算委員会において、萩生田政調会長が、防衛費に海上保安庁の予算が含まれるかについて質問していましたが、これは海上保安庁・海上自衛隊の創設時からの根源的な問題です。
1948年制定の海上保安庁法第25条は「この法律のいかなる規定も海上保安庁またはその職員が軍隊として組織され、訓練され、または軍隊の機能を営むものとこれを解釈してはならない」と定めますが、1954年制定の自衛隊法第80条には「内閣総理大臣は治安出動または防衛出動の規定による自衛隊の全部または一部に対する出動命令があった場合において、特別の必要があると認めるときは、海上保安庁の全部または一部を防衛大臣の統制下に入れることが出来る」と書かれており、この二つの条文はどのように整合的に理解すべきなのか、実はまだ明確にされていません。
海上保安庁法が制定された時には、まだ自衛隊の前身である警察予備隊も発足していなかったので、このような問題は存在していなかったのですが、軍隊の本質である自衛権の行使を任務とする保安庁法が1952年に成立した際、この点をきちんと整理しておくべきでした。
領土保全の最前線である尖閣海域などにおいて、身命を賭して日夜任務に当たっている海上保安官諸官には最大限の敬意を表すべきです。であればこそ、この問題を先送りしたままで、いざ自衛隊に治安出動や防衛出動命令を下令せねばならないような事態となった時に、法令の解釈や実際の運用で現場に大混乱が生ずるようなことは未然に防止しなければなりません。これは、海保の予算を防衛予算に含むか否かというテクニカルな問題では決してないのです。先週の15日土曜日に開催された「万葉集編纂者・大伴家持ゆかりの地『因幡』を訪ねて」と銘打った「令和の万葉大茶会2022鳥取大会」は、想像した以上に楽しく、興味深いものでした。
秋晴れの好天の下、万葉集ゆかりの地である宮城県多賀城市、富山県高岡市、東京都調布市・狛江市、福岡県太宰府市等、全国各地からお越しの皆様を迎えて行われた茶会も大変に雅なものでしたが、夕刻に行われた交流会で講演された歌人・小島ゆかりさんのお話は久々に聞く実に面白いもので、学生時代、古文はとても好きだったのに、なぜか万葉集にはあまり興味を持たなかったことを今更ながらにとても残念に思いました。歴史の年号丸暗記と同じく、文法の勉強ばかりでテストの点を取っていたような気がします。
万葉集に収められた家持と笠女郎(かさのいらつめ)との歌のやり取りや、九州の防衛の任に当たった防人たちの歌、伯耆国守(現在の鳥取県中・西部。国府は倉吉市に所在した)であった山上憶良の詠んだ庶民の困窮を思い遣る貧窮問答歌など、今からでもよく勉強して味わってみたいと強く思ったことでした。このような殺伐とした世界で長く仕事をしていると、文化に疎くなってしまったことを痛感させられます。早いもので、10月も下旬となってしまいました。皆様、ご健勝にてお過ごしくださいませ。