第1047号 国葬と国家のあり方

 反対の声が日々強まり多数派となる中、安倍元総理の国葬が27日に迫っています。民意を無視して強行される国葬には、自民党政権の「国家観」が強く表れていると感じます。

◆国葬の歴史
 国葬という儀式が始まったのは明治時代です。それは単に亡くなった政治家や軍人を弔う宗教的儀式ではなく、極めて政治的意図を持った国家行事でした。

 明治時代は、国家はイコール天皇であり、国民を天皇(国家)の下にまとめ上げることが必要とされました。

 そのため、天皇(国家)に対して功績があった政治家や軍人を「偉大な忠臣」として祀り上げ、壮大な儀式として国葬を行って国民に見せつけることで、国民の一体感を高める手法が採られたのです。

 いわば天皇の忠臣をシンボル化することで、天皇を中心とした中央集権国家を維持するための「装置」として国葬が機能していたのです。

◆戦後の社会とは相容れない
 戦後、国家像は一変しました。天皇は憲法上、象徴であると規定され、主権は国民にあることが明確になりました。天皇の忠臣をシンボル化し、国家を挙げて弔うことによって国をまとめあげる意義は無くなったのです。

 国葬は明治から昭和初期という特殊な国家状況の中で存在していたに過ぎず、特定の政治家を国民が一体となって弔うことは、主権在民の下で戦後我々が構築してきたシステムとは相容れないものになったと考えます。

◆その意図は「黙って従え」?
 それでもなお、現代に国葬を復活させようとする意図はどこにあるのでしょうか?

 今回、内閣の判断による国葬の開催を岸田総理に進言したのは、麻生元総理を始めとする自民党の長老議員たちだと言われています。二階元幹事長からは、国葬への反対意見に対して「黙って見送ればいい」という発言がありました。

 こうした方々の奥底に流れる国家観は、国民は政府が決めたことには黙って従えば良く、一体となって亡くなった「国家の功臣」を称えるべきだという、多様性を排除した、強権的で国家主義的な思想ではないかと考えます。

 これは、天皇と国家神道を結びつけ、国民は唯一の神に従うべきであるとする一神教的発想で強力な統制国家を作ろうとした、明治以降、特に昭和の戦前戦中の国家に相通ずる思想です。

 国葬の復活には、再び昔のように政府にとって都合の良い統制的な国家、つまり国の言うことに国民が「黙って従う国」を復活させたいという意図が見て取れるのです。

◆国葬と国家観
 仮に現代の民主主義の下で国葬が行われるのであれば、それは国民の意思に基づくことが必要でしょう。

 岸田総理は8日の議院運営委員会で、国葬の理由について「民主主義を守り抜く」ためと答弁しました。

 しかし、法的根拠が明確でなく、世論の反対の声の高まりにもかかわらず、内閣による独断の決定を見直すこともしないまま強行しようとするその姿勢は、およそ民主主義とは相いれないもので、自己矛盾に陥っているとしか言えません。

 結局、岸田総理の国家観も、歴代自民党総理に見られた国家主義的思想の枠内にあると言えるでしょう。

 今回の国葬についての見解は、それぞれの党や政治家の国家観を如実に表しています。単に法的な解釈や予算規模といった議論にとどまることなく、国家観の問題として国葬をどう捉え、評価すべきかという議論を、国葬挙行後も国会で議論しなければならないと考えています。

 

スタッフ日記「洗濯をめぐる冒険」

 8月終わりから10月末まで2か月間、国会ではなく奈良事務所勤務のためホテル暮らしをしています。

 今年は西宮市長選挙、石川の参院補選、参院選、そして今回と旅暮らし続きなので、大体の不便には慣れてしまいました。

 ただ1つ、気がかりは洗濯です。洗濯王子と称する人が「洗濯は水の温度と量で決まる!」と言っているのを信じ、自宅に温水洗浄ができる縦型洗濯機を導入した私はここ数年、黄ばみやソースのシミに悩まされたことがありません。

 しかしホテルの洗濯機は水洗い。うーん頼りない…。

 そして案の定、黄ばみは徐々に蓄積してゆき、いてもたってもいられなくなった私は、白シャツのみ手洗いをするようになったのでした。

 しかしホテルの洗面台は狭く、お湯を張って洗剤を入れて押し洗い、時にはウタマロ石鹸で揉み洗い、すすいで、絞って、を繰り返すと、周囲はまるでアヒルが暴れたと見まごうばかりの水浸しとなってしまいます。

 この惨状をどうしたものか、と日々考える中で目に入ったのが、洗面台の横。そう、浴槽。熱いお湯がたっぷり張れる、まさに洗濯王子の定義にピッタリです。

 意気揚々と浴槽に5枚のシャツを放り込み、熱湯を注いでみました。気持ちよく泳ぐシャツ、立ち上る湯気。なんかいいぞ!

 そう思ったのもつかの間、洗剤を入れ、さて押し洗いを、と思ったら、湯が熱い、そして底まで手が届かない…。

 メガネを曇らせ、汗だくになりながら、格闘すること5分。諦めてつけ置き洗いに変更です。ウタマロ石鹸をサボったからなのか、結局部分的な黄ばみは落ちず、惨敗。

 旅の洗濯を極める道のりはまだまだ続きます。(シズ)

The post 第1047号 国葬と国家のあり方 first appeared on 馬淵澄夫(まぶちすみお)奈良県第1区選出 衆議院議員.

PR
馬淵澄夫
PR
adminmasterをフォローする
政治家ブログまとめ