終戦75年を迎えようとする今、我が国が「敵基地攻撃能力」を持つべきであるという旨の提言が自民党から出され、安倍総理も前向きに検討を進めようとしています。
◆攻撃能力は抑止になるか?
この提言は、紛争相手国の領域内でも弾道ミサイルの発射を阻止する能力の保有も含めて、抑止力向上を求めています。これは主に北朝鮮からのミサイル防衛を念頭に置いており、私自身も、危険が差し迫った場合の自衛権行使としての敵基地攻撃自体を否定するものではありません。しかし、そこには実効性と歯止めの両方が必要です。まず、実効性を考えると、現在、北朝鮮のミサイルは全土に展開された移動式の発射台からの発射が想定されており、それらを網羅的に殲滅するのは技術的に難しく、膨大な予算を費やして大規模な攻撃能力を整えても効果は未知数です。そして、すでにアメリカ・韓国軍との戦争を想定して瀬戸際外交を進めてきた北朝鮮に対して、日本が攻撃能力を整えても、新たな抑止力としては機能しないと考えられます。
さらに、歯止めを明確にせずに他国領土への大規模な攻撃能力保有の議論がエスカレートすれば、攻撃と自衛の境界があいまいになり、憲法の専守防衛の理念がなし崩し的に骨抜きにされていくことが予想されます。それは決して許されません。
◆現実的な危機対応
結局、現時点での敵基地攻撃能力の保有は、配備が断念されたミサイル防衛システム「イージス・アショア」の代替としては機能せず、ミサイル防衛の実効性に欠けるものです。今出来るリアリティのあるミサイル防衛は、なぜイージス・アショアの配備を断念せざるを得なかったのかを厳格に検証し、専守防衛の理念に沿ったミサイル防衛システムの再構築を図ることと考えます。さらに、中国は尖閣諸島周辺に100日以上連続で船舶を送るなど、依然として領土への野心を隠そうとはしていません。警察・海上保安庁・自衛隊が連携を取って領海内の警備を充実させる法の制定など、日本側も具体的な動きを見せるべきです。今、何が出来るかを考えるのが、安全保障の基本だと思います。
◆変わるアメリカと安保
国際関係も、安全保障に大きな変化を生じさせています。アメリカはトランプ政権下で内向きの政治を進めてきましたが、中国との冷戦状態が本格化する中で、大統領選挙がどのような結果になろうと、ますます自国中心主義を強めていくと予想されます。それは、かつての米ソ冷戦のように、アメリカが世界中に軍を駐留させて、核の傘で同盟国を守り、経済的支援を行って共に繁栄するというよりは、むしろアメリカ一国の繁栄を目指すものになるでしょう。ドイツや韓国で駐留アメリカ軍の大幅削減が検討されているのはその兆候を示すものです。アメリカとの同盟関係は維持しつつも、今後のアメリカの変化にも対応し得る、専守防衛に特化した安全保障の構築が必要です。アメリカ軍との一体化を想定する安保法制の見直しも、改めて行わなければなりません。終戦から75年を迎え、また、コロナ禍という新たな国難に向き合う今、戦争の惨禍をいかに防ぐかは重い課題です。国政を担う議員として、真正面から取り組み、議論と提案をして参ります。
スタッフ日記「いつもと違う夏」
例年、週末は汗だくになりながら焼きそば、ホットドック、フライドポテトにかぶりつく、これがまぶち事務所夏の伝統行事でした。
しかし、今年は市内各所の夏祭りを巡るどころか、京都の祇園祭、岸和田だんじり祭など、全国から観光客を魅了する伝統的な祭りさえも中止や縮小へと追い込まれてしまいました。
奈良県内では、大和郡山城の花火大会や吉野川花火大会が中止となり、東大寺や春日大社でも形式のみの催事を行うとなっています。コロナ感染対策として、密を避けて参加者の安全を確保するのは困難と判断するところが多く、長い歴史の中で培われてきた伝統と文化の継承を、ここで一度立ち止まって考えようと判断したその重い決断には、多くの人の思いが交錯していることがうかがえます。
地元奈良の各自治会でも、今年は地域のみんなが参加する盆踊りが中止となり、地域の「つながり」と「にぎわい」を象徴する夏の風物詩がまた一つ消えてしまいました。今回の祭り中止は、楽しみにしてきた子どもたちにとっても残念な結果となりましたが、全国各地に残るその伝統的な祭りの多くは、祖霊が帰ってくるお盆の時期に合わせた祖霊供養と、疫病の除去を祈願するものだったと聞いたことがあります。
こうして今日まで連綿と受け継がれてきた日本の夏祭りにとって、今年は違った視点から、ご家族でお盆を見つめる事が大切なのかもしれません。私の思いも、全国で引き起こされた災害の早期復興と新型コロナ感染症の一日も早い終息、そして遠く離れた故郷を思い、このお盆を過ごそうかと思います。(特命係長)