母校・津田塾大学120周年に際し、卒業生ロールモデル120名特集にて紹介されました

千葉県議会議員の水野ゆうきです。

 

私は津田塾大学学芸学部国際関係学科2005年の卒業生です。

 

今年2020年は、女子教育の先駆者・津田梅子女史が女子英学塾(のちの津田塾大学)創立して120年となる記念すべき年です。

 

そこで、津田塾大学は様々な分野で活躍する卒業生の中で、21世紀を生きる若い女性達の人生の道標となるロールモデル卒業生の120名を高校生や在学生など幅広くご紹介する特集を組み、大変光栄なことに私もその一人として選んでいただきました。

 

 

https://120lives.tsuda.ac.jp/y_mizuno.html

 

津田塾大学は、英文学や国際関係学の分野で活躍する卒業生を多く輩出しています。

政治の世界でも赤松良子元文部大臣や森山眞弓元法務大臣をはじめ、数多くのアナウンサーや翻訳家の戸田奈津子さん、経済界ではDeNAの南場智子さんなど、尊敬する卒業生がたくさんいらしゃいます。

 

この120年間でおそらく何十万人もいる卒業生の中で、津田塾大学のロールモデル(お手本となる人物)120人に選んでいただいたことを大変光栄に思います。

 

(※私のページは「支」「挑」の文字が使われておりますが、120名の多様な生き方を表すため、18の文字(育、起、究、拓、結、護、支、商、創、造、挑、調、伝、導、表、編、癒、聴)をカテゴリーとして、それぞれの職業や分野、メッセージ内容や委員からの推薦に基づき、文字が選ばれています。)

 

女性の社会進出の先駆的女子大学であったことから、私は津田塾大学を志望しました。

 

私は小学校~中学校途中までは米国に住んでいたことから日本の勉強がとても遅れており、帰国子女クラスがある茗溪学園に編入試験を経て編入したものの、大学受験は「帰国してから2年以内でないと帰国子女枠が利用できない」(※つまり高校2年以降に帰国した生徒のみ帰国子女枠が使える、もしくは受験の時に一時帰国して受験する)ために、大幅に日本の勉強が遅れている中で普通に「一般枠」での大学受験でした。

 

津田塾大学の受験はマークシートではなくて記述式のため、いつもA判定が出るとは限りませんでしたが、浪人せずに大学に入るために、米国にいた長期間のロスを少ない時間でなんとか取り返しつつ、受験勉強に臨み、津田塾大学国際関係学科に入学しました。

 

女性官僚に津田塾出身者が多かったことから「津田マフィア」と呼ばれていた時代もありましたが、やはり大学での勉強は大変でした。年に1度、高度の学年英語テストがあり順位も出ます。

しかし、大学時代に遊ばなかったことにより、今の私がありますので、津田塾大学には大変感謝をしています。

 

大学では英語クラスは飛び級をして上級生と勉強していました。国際政治や環境問題、女性学の授業はとても興味深く、卒業後の私の人生にも大きな影響を与えています。

 

今回の120周年に際し、多くの皆様へ私の経験をもとにしたメッセージを送りましたので、ご一読いただければ幸いです。

https://120lives.tsuda.ac.jp/y_mizuno.html

 

120名はこちらから順次公開されていきます。

https://120lives.tsuda.ac.jp/