身体が小さかった私はゲームでコンプレックスを克服して、わりと真面目な大人になった【雑談】

こんばんは、音喜多駿(参議院議員 / 東京都選出)です。

「ゲームは1日60分」 依存症対策条例、香川県議会で成立 全国初
https://mainichi.jp/articles/20200318/k00/00m/040/083000c

多くの関係者の力及ばず、香川県で所謂「ネット・ゲーム規制条例」が可決されました。

これに対する批判的な意見は散々書いてきたので、私も上記のめっちゃゲーム愛に溢れた記事に触発され、ゲームとの想い出を書きたいと思います。

都内とはいえそこそこ下町っぽい小学校では、足が速かったり、背が高かったり、喧嘩が強かったりしない子どもたちはスクールカーストの下部。

小6の卒業時に136cmしかなかった痩せっぽちでチビ助の私は、そこそこのコンプレックスを抱えながら幼少時代を過ごしていた。

それでも進学塾に通った私は高学年から学力で挽回できたものの、進学校に行ったら速攻で落ちこぼれて、気づけば留年寸前という成績まで追い込まれ、暗い青春を送り続けた。

そんな中でハマったゲームの数々は、文字通り輝きを放っていた。

必殺技で敵をなぎ倒すスーパーロボット(スーパーロボット大戦)、圧倒的な知略で日本を統一する戦国武将(信長の野望)、圧倒的な美技で体をKOするファイターたち(バーチャファイター)。

学校の片隅で何者でもなかった自分は、ゲーム機のスイッチを入れたり、アーケードに50円効果を入れるだけでスーパーヒーローになれた。

それは何者にも代えがたい高揚感で、気づけば、似たような友人たちが周りに集まるようになった。

攻略法についてあれこれ語り合い、見るからに陰キャゆえに一緒にゲーセンやコンビニ前でカツアゲをされていたゲーム仲間の同級生たちは、今でも時おり酒を片手に語り合う仲だ。

高校一年の時に楽器を初めてバンドを組むまで、間違いなく私の生活の中心はゲームだったし、そこに一点の後悔もない。

ゲームに比べたら面白いとは思えなかったけど、一歩ずつクリアする喜びがわかったから、仲間と一緒に過ごす楽しみを手放したくなかったから、学校もなんとか卒業ができた。

むしろあの時に夢中になったゲームの数々に出会わなかったら、留年せずに中学校を卒業することも、今なお続く友人たちとの絆もできなかったと思う。

仮にあの時、ゲームが画一的に1日1時間に制限されていたら…

骨太なシミュレーションゲームはいつまで経ってもクリアできなかったし、格闘ゲームのブームについていくこともできずに、挫折が一つ増えただけだったでしょう。

当時の両親もゲームばかりやっている息子の姿に悩んだだろうが、それなりに自由放任にやらせてくれたことには、今も感謝しかありません。

「身体」がコンプレックスだった私は、「ゲーム」によってそこから自由になった。

この経験がなければ、今の私があることはなかったと思っています。

もちろん、冒頭に紹介したnote記事も、このブログ記事も個人の体験談に過ぎません。

自分も子を持つ親になり、YouTubeやスマホばかりを触っている子どもを心配になる気持ちは、嫌というほどわかる。

それでもなお、ゲームという可能性は閉ざしたくないし、閉ざすべきでもない。

自己決定権の原則の元、親と子が逡巡しながら道を選ぶからこそ、その先に後悔のない人生があると信じたい。

そんなことを感じた週末の夜でした。

それでは、また明日。

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