圧倒的な想いと熱量が、距離と時間すら超えていく。あたらしい「オンライン」早稲田祭へ愛を込めて

※毎年恒例の早稲田祭エッセイです

人と会って、話すことに飢えてた。誰かに想いを吐き出したくて仕方なかった。

用事がなくても学生会館や大隈講堂前に向かい、「わせ弁」や缶ビールを片手に語り合う。授業のこと、バイトのこと、そして早稲田祭のこと。

場が煮詰まってきたところでポツリと、

「…俺、◯◯美のことが好きなんだよね」
「マジかよ?!」
「早稲田祭が終わったら告ろうと思う」
「いけるいける!」

みたいな話が出てきたりして。

時間とか距離とかはとても残酷で、どんなに強い想いも、あの子やあの場所が好きだという気持ちも、距離が離れて会わなくなれば普通はやがて薄れていく。

だからキャンパスが閉ざされて、オンラインが主体となっている今の大学生たちのことはとても心配だし、辛いだろうなと心から思う。

でも若者たちはいつだって挑戦的で、「そんなの無理だよ」という大人の諦めを超えていく。

史上初めて「オンライン」で行われた早稲田祭。そうは言ってもオンラインが決まった当初は、幹事代の学生たちも本当に悔しかったと思う。

天気にも恵まれて、本来は両日で15万人を超える来場者が来るはずだった早稲田のキャンパスで、画面の向こうの聴衆に向かってパフォーマンスが続く。

「早稲田祭がなかったら、今の自分はなかった。私も誰かのそんな存在になれたら」

演者のそんな書き込みをTwitterで見かける。想いは伝わる、オンラインでも。

「生まれ変わってももう一度、この仲間と早稲田祭2020をやりたい」

最後の代表の言葉。彼らの本気は、また次の世代にバトンをつないでいく。

そういえば私たちの最後の早稲田祭(2005)で、笑えるほどの豪雨に見舞われた。雨に弱い機材は撤収されて、渾身のエネルギーを込めて準備してきたエンディングはほぼ何もできなかった。

(照明機材もない闇の中、ラストの代表あいさつ動画)

でも、今ではその豪雨すら青春の1ページ。大雨の中で肩を組んで歌った「紺碧の空」は語り草だし、地縛霊みたく早稲田祭を愛し続けている理由の一つ。

19年目。どんな形でも早稲田祭を繋いでくれている早稲田大学と後輩たちに、心からありがとう。そしてお疲れ様でした。

来年はこのキャンパスに、再び笑顔ととんでもない熱量が集まれるよう、私たち大人が後輩に恥じない背中を見せるべく、全力で努力をしていきます。

19回目の早稲田祭に、真心と感謝を込めて。
音喜多 駿

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