「トランス選手の女性競技参加」という難題に、私たちはどう向き合うか。「権利と権利の衝突」から考えてみる

こんばんは、音喜多駿(参議院議員 / 東京都選出)です。

本日は都議会議員時代から交流のある「LGBT法連合会」の皆さまと、「LGBT差別禁止法」や「性同一性障害者特例法」について意見交換を行いました。

その際にも話題に上がった(私が聞いてみた)のが、「トランスジェンダー選手の男女別スポーツ競技参加をどこまで認めるべきか」という点について。

トランスジェンダー選手の参加を禁止する法案可決…米ミシシッピ州上院で
https://www.businessinsider.jp/post-229648

これはまさに「新しい社会課題」の一つで、私も迷っています。そもそも「トランスジェンダー選手」という呼び方が適切なのかどうかも、正直よくわからない。。

LGBT法連合会の方々は、こうしたセクシャルマイノリティについては造詣が深い人たちの集まりだと思いますが、まだこの点については確たる結論はもっていないとのことでした。

そんな折、ちょうどSNS上ではイスラム思想学者の飯山陽さんを起点に議論が発生しています。

共産党員竹田まな氏に差別主義者のレッテルを貼られた話|飯山陽
https://note.com/iiyamaakari/n/n24061c2641c5
(共産党がという下りは脇に置くとして、差別や権利を考える論考として興味深い問題提起がなされています)

差別か、区別か。多様性をどこまで認めるべきか。そもそも多様性とはなにか。

逃げを打つわけではありませんが、本当に難しい問題で、このトランスを巡る論点については私の中でも確たる結論がない状態です。

ない状態ですが、だからと言っていつまでも胸のうちに秘めておいては物事は動かないので、現時点での見解を文章化してみます。

「生物学的には男性、だけど今は女性」のいわゆるトランス選手が女性競技に出て、その記録や順位が同等に扱われるということに、慎重になった方が良いのではないかと私は現時点で感じています。

これを私は「権利と権利の衝突」という観点から整理しました。

例えば私が大いに認めるべきだと考えている「同性婚」については、それを認めることで「著しく権利が侵害される人」が存在しません。

有名なニュージーランド議員のスピーチにあるように、「関係ない人にはただ今まで通りの人生が続くだけ」。

参考:
「同性婚を認めても、関係ない人にはただ今まで通りの人生が続くだけ」。賞賛を集めたニュージーランド議員のスピーチ

https://www.huffingtonpost.jp/entry/story_jp_5f7a6cdec5b64cf6a2523bd6

同性婚を認めたとしても、従来通り異性間で結婚することは不利にならないし、ほとんど障害は生じないわけです。(思想信条の違いで不愉快な思いをするとか、そういうレベルでの権利侵害はあるかもしれませんが)

翻って、トランス選手の女性競技参加は、飯山氏が指摘するように「生物学的な女性のチャンスが失われる」という明確な損失が生じます。

現在、国際オリンピック委員会(IOC)の規定では、大会の1年前から血液中のテストステロン(男性ホルモン)値を基準以下に保つなどの条件を満たせば、男子で競技歴がある選手でも女子で出場できる可能性があるようです(参照元)。

しかしそれでも、元の骨格が異なる以上、スポーツという世界では結果への影響は避けられません。

ナヴラチロワ氏、トランスジェンダー選手は「不正」発言を謝罪も議論継続
https://www.bbc.com/japanese/47411978

実際にこの点について、女性選手たちが次々に反対の声をあげているのは、「自分たちの権利や立場が奪われる」という深刻な現実からで、この点は思想対立にほぼ留まる同性婚の問題とは明確に異なるように思えます。

多様性のある社会とは、(残念ながら?)誰もが完全に思い通りに生きられる社会ではなく、みんなが少しずつ我慢をして譲り合って生きる社会です。

ただ言うは易して、「どこまでどちらが譲るのか」が難しい問題になるわけですが、競技や大会には参加できるけれど、順位や数値は参考記録となるという線引が落とし所のような気がします。

これなら、スポーツをする権利や大会参加の資格を妨げていることにはなりません。

でもこうした「人と違う扱い」に苦しんできたセクシャルマイノリティの立場から見れば、それでも区別され続けることには納得できないのでしょうし、本当に難しい…。

書いてはみたものの、私の中でも完全に腹落ちがしないこの問題。

まだまだ本分野については勉強不足ですから、不正確・不適切な表現や考えをしているかもしれません。ご指摘・ご指導を忌憚なくいただければ幸いです。

それでも避けられないこうした「新しい社会課題」について、悩みながらも考えながらも、正面から取り組んでまいりたいと思います。

それでは、また明日。

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