「報道・表現の自由」「国民の知る権利」を軽視。公私の顔を都合よく使い分ける、IOCや組織委員会の体質問題

こんばんは、音喜多駿(参議院議員 / 東京都選出)です。

本日は日本維新の会・北区チームで久しぶりに街宣活動。

この髪型だとあまり認知されず「…?!」みたいな感じで二度見してくる人が多数(笑)。

「また緊急事態宣言になるの?」「オリパラは本当にやれるのかしら?」

等など、様々な声をいただきました。コロナ支援策をまとめたチラシもお配りしておりますので、行政対応などでご不明な点があればお気軽にお問い合わせ下さいませ。

さて、ここ数日はオリンピック・パラリンピックにおいて「報道の自由」「表現の自由」があまりにも軽視されるような対応が目に付きます。

公道で行われる聖火リレーの撮影がどういうわけか規制された件について、江川紹子氏が専門家の見解も交えて詳細な記事を書いています。

結論だけ言えば、どの専門家も公道で行われる聖火リレーの報道を規制することは「まったく法的根拠がない」ということで、これを日本国民・報道機関に押し付けようとしたIOCも、それに疑問を差し挟むことなく従った組織委員会もおかしいと指摘をせざるを得ません。

また開会式の内幕を暴露した週刊文春の記事に対して、「業務妨害」「著作権法違反」などとして封殺しようとした組織委員会にも批判が相次いでいます。

普通の民間企業であれば訴訟するのはもちろん自由ですが、多額の公金が支出されている組織委員会の内情について、国民が知りたいと思い、報道機関が報じるのは当然のことです。

結論はこの江川さんのTweetに凝縮されているのですが、前述の記事の中でも専門家が、

>オリンピックには、公共イベントと民間イベントという両方の側面があります。公金を投入する時には公共の顔をし、放映権が絡むと民間のロジックで、と都合良く使い分けている

と、公私の顔を都合よく使い分けている問題点を指摘されており、まったくその通りであると私も考えます。

組織委員会のブラックボックス問題は、都議会議員時代からずっと追及・指摘し続けてきたところですが、三ヶ月前になってもその体質がまったく変わっていないのは極めて残念です。

自分たちの立場を融通無碍に変え、国民の権利を平然と踏みにじることは決して看過できません。

この組織体質は、オリンピック・パラリンピック終了後も会計報告などに関わる部分です。しっかりと注視し、透明性の高い運営・会計を最後の最後まで求めてまいります。

それでは、また明日。

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おときた駿
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