5世紀から6世紀にかけての尾張地方では、北部の二子山古墳(ふたごやまこふん:春日井市)や青塚古墳(あおつかこふん:犬山市)、東部の瓢箪山古墳(ひょうたんやまこふん:守山区)など大規模な古墳が造営されたが、その中でも熱田台地南部に築造された6世紀初頭の断夫山古墳(だんぷさんこふん:熱田区)が全長150mと群を抜いて大きく、東海地方最大の前方後円墳といわれている。
断夫山古墳はかつて日本武尊妃(やまとたける)と結婚した宮簀媛命(みやずひめのみこと)の墓として熱田神宮大宮司家の管理下にあり、「断夫山」という名称もその宮簀媛伝承に基づく。戦後に入って愛知県有地となり、昭和62年(1987年)に断夫山古墳は国の史跡に指定された。その後現在までに断夫山古墳を含む周辺一帯は熱田神宮公園として整備されている。
さて、墳丘にはかなり広範囲にわたって周濠が巡らされていた。その一部は現在の伏見通まで到達していたという。また、盗掘等もなく、本格的な発掘調査は一度もなされていないことから、考古学者の中には発掘によって、大きな発見があるのではないかという期待が少なくない。
後期古墳としては全国でも屈指の規模であり、国の史跡に指定されるなど貴重な古墳にもかかわらず、今日まで、調査がほとんどなされてこなかったばかりか、墳丘に生い茂った樹木の根などによって石室や墳丘の破壊が懸念されるほど整備が遅れている断夫山古墳。しかし、ヨコイから古墳を所有する愛知県知事への申し入れにより、現在、範囲確定並びに発掘調査に向けた検討が進められている。
いずれにしても、神話の世界が発掘調査によって現在によみがえる可能性があり、古代ロマンに夢が広がる。まずは愛知県の発掘調査に向けた検討結果を待ちたい。