昭和34年9月26日、南区西部地域を中心に甚大な被害をもたらした伊勢湾台風。その中でも最大の被災地が、柴田学区・白水学区。最大潮位3.89mに達した高潮が堤防を決壊させ、南区西部地域に広がるゼロメートル地帯を一気に襲い、南区で1,417人、白水小学校児童においては142人もの犠牲を生んだ。その白水小学校を舞台に、伊勢湾台風から60年を迎える9月8日(日)午前、学区避難所運営訓練が行われた。
白水小学校体育館では、今回の学区避難所運営訓練に合わせ、伊勢湾台風直後の白水学区の様子を撮影した360度パノラマ写真が掲示してある。名古屋市博物館に寄贈された写真には、浸水したままの住宅、破壊された家々や救助の様子、被害を拡大した貯木場、いかだで物資を運んでいる人などが写っている。このパノラマ写真はしばらくの間、体育館後方に掲示するとのこと。
そして、伊勢湾台風から60年を迎えることから、白水小学校運動場南に建立されている「友情の碑」を訪れ、ご冥福をお祈りした。「友情の碑」は、伊勢湾台風により被災した白水学区民861名、そのうち児童142名を慰霊し、2度とこのような犠牲者を出さないという願いを込めて、昭和40年に建立されたもの。 台座の高さは当時の浸水の水位と同じ2.75メートル。その上に子ども2人を抱えて逃げる母親の像がつくられている。■ 友情の碑
碑文 杉戸清昭和三十四年九月二十六日、午后九時半を中心として、この地を襲った台風十五号は、気圧九四五ミリバール、瞬間最大風速約四六メートル、折からの満潮時とも重なって、海水はふくれあがり、高潮となって押し寄せて来た。(伊勢湾台風と名付けられた)またたく間に水位も二メートル以上、この台座の高さまであがり、人も家も呑み込んでしまった。名古屋港より流出した巨木は、この運動場をも埋めつくし、殉難者は学区民八六一名、その内本校児童一四二名を数える未曽有の大災害となった。この大災害により、亡くなられました方々に対し、心よりそのご冥福をお祈りすると供に私たちは二度とこの惨禍を繰り返さないことを、固く誓いたいと思います。除幕 昭和四十年二月十三日