石破 茂 です。
いわゆる「派閥裏金問題」に関与したとされる党所属議員に対する処分が決定されましたが、党内には不満、怨嗟、憎悪の声が満ち満ちており、世の中の評価も総じて低く、今後の先行きには不透明感が漂っています。
党の自浄作用を示すことは必要ですが、検察の捜査で立件されなかった者を処分するからには、当該議員が何を為したのか、それがどれほどの党規約に抵触するものであったのか、過去の処分との整合性をどうとるのかを説明のつく形で示さなくてはなりませんが、強制的な捜査権限を持たない党紀委員会にそのようなことが果たして可能であったかどうかは甚だ疑問です。「これで幕引きは許されない」的な報道が多くなされ、国民の皆様にも同じ思いを持たれる方が圧倒的であることはよく承知していますが、最終的には選挙で有権者の判断を仰ぐ他はありません。
政権復帰後、徐々に自民党の規範意識が劣化したことは否めませんし、その間4年にわたって幹事長や閣僚を務めてきた私自身にも責任がありますが、安倍政権当時、官邸や党執行部に意見をすること自体が疎んじられる雰囲気があり、また権力に阿る人々は政界のみならず、官界、経済界、メディアにも多く居たのは間違いない事実でしょう。「権力は腐敗する、絶対的権力は絶対に腐敗する」というイギリスの思想家ジョン・アクトン卿(1834~1902)の言葉は永遠の真理であり、我々はこれをよく噛み締め、常に自戒せねばなりません。4月16日告示、28日投開票で、東京第15区、島根第1区、長崎第3区で衆議院の補欠選挙が行われますが、自民党が公認候補を立てられるのは島根県だけとなる見通しです。私にとっては隣県で、参議院では鳥取・島根が合区でもあり、ここに可能な限りの力を尽くしたいと思っております。自民党の立候補予定者である元財務省中国財務局長の錦織功政(にしこり・のりまさ)氏は、人物・経歴ともに立派な人物ですが、知名度不足を早急に補わなければそもそも選挙になりません。
元鳥取県知事、元衆議院議員、元郵政大臣 平林鴻三先生が、さる3月28日に93歳で逝去されました。
昭和49年、亡父・石破二朗の参議院転出に伴い43歳の若さで当時最年少の知事として後継となられ、3期半ばで衆議院議員に転出、5期を務められ、第二次森喜朗内閣において郵政大臣を務められました。
石破二朗の後継知事と長男という本来兄弟のような間柄でありながら、中選挙区であった鳥取全県区で地盤と人脈が完全に重なる二人が相争う、まさに血で血を洗うような厳しい戦いが10年以上にわたって続きました。私が熱心な小選挙区論者になった背景には、自民党同士が仇敵のごとくに戦うという中選挙区にたまらない嫌気を感じていたという事情があったのですが、小選挙区に移行後は先生が比例中国ブロック、私が鳥取一区との住みわけがなされ、それまでの対立構造は無くなりました。
ただ一度だけでしたが、二人だけで夕食を共にしながら、専ら共通の趣味であるクラシック音楽の話に興じた時のことを今も鮮明に覚えています。好きな曲目や演奏者が共通していたことも驚きでしたが、名曲にもかかわらず比較的マイナーなビゼーの交響曲に話が及んだときはとても嬉しく思ったことでした。政界引退後は一切公の場には出られることがなく、ご自宅で音楽を聴きながら県立図書館で借りてこられた本を読んでおられたとのことですが、殺伐とした政治の世界と訣別されて心豊かな晩年をお過ごしであったことと拝察します。「権力は謙抑的に使うもの」との教えを思い出しますが、もっとお会いして亡父の話や政治の在り方についてお聞きしたかったと悔やまれてなりません。今頃、先生が亡父とどのような話をしておられるのかと思うと、感慨深いものがあります。相沢英之先生(元経企庁長官)、野坂浩賢先生(元官房長官・社会党)、武部文先生(元物価問題特別委員長・社会党)、西村尚治先生(参院議員・元総務長官)、坂野重信先生(参院議員・元自治相)は既に亡く、今回平林先生が逝去されて、私が初当選した昭和61年当時の鳥取県選出の国会議員は、私の他はすべておられなくなってしまいました。党や派閥は異なっても、それぞれ人間味豊かな立派な方々でした。38年の時の流れを実感するとともに、一人残されてしまったような寂寥感を強く感じております。
先月29日、去年より15日遅く東京の桜の開花が発表されましたが、昨日、今日と東京都心は冷たい雨となりました。本日が満開で、週末から来週にかけてが見頃となるようです。いつかゆっくりと花見が出来ることを願っているのですが、今年も実現しそうにはありません。
皆様、ご健勝にてお過ごしくださいませ。