こんばんは、音喜多駿(参議院議員 / 東京都選出)です。
政府や各自治体が5人以上での会食自粛をお願いしているにも関わらず、与野党を問わず政治家の会食発覚炎上が続いています。
というか、これまではもっぱら自民党議員ばかりだったのですが、立憲民主党・柚木道義議員が炎上し、とうとう「与野党を問わず」という事態になりました。
まあ、これらもすべて氷山の一角なのかもしれませんが…。
立憲・柚木道義さん、5人以上の会食現場で笑顔の写真、亡くなった羽田雄一郎氏へのお悔み投稿に添付
https://ksl-live.com/blog38099どうしてここまで、発覚したら炎上するとわかっているのに政治家は「会食」をやめられないのか?打ち合わせや挨拶だけではなく、なぜ「飯を一緒に食う」ことにこだわるのか?
政治家が会食をやめられないのは、焚火を囲んで肉を焼いていた石器時代から「仲間とメシを食うこと」が関係構築の基本であり、権力の源泉だから。たとえば多くの宗教で食の禁忌があるのは、若者が異教徒と仲良くなり改宗するのを防ぐためだったのではないかと、進化心理学者S.ピンカーは言っている。
— Rootport◆月~金19:30YouTube配信してるよ (@rootport) December 29, 2020
この理由を進化心理学の観点から連続Tweetをされている方がいて、私はストンと腑に落ちました。
もちろん近視眼的には選挙のため・票のためということになるのですが、「関係構築の基本」「権力の源泉」これに尽きます。
思えば2020年はコロナの影響によりオンライン化・テレワークなどが飛躍的に進んで一方で、対面コミュニケーションの重要性が改めてわかった1年でもありました。
面と向かって会わなければなかなか進まないこと・わかりあえないことというのは存外にたくさんあって、やたらと人が集まる会議も必ずしも無駄なことばかりではなかったのだなあと(無駄なものもいっぱいあるけど)。
そして会うだけではなく、「一緒に飯を食う」。
狩猟採集時代、群れのリーダー・ボスは自らが仕留めた獲物を仲間たちに振る舞い、一緒に食べることで己の確固たる地位を気づいていたのでしょう。
獲物を仕留めるだけでもダメ、それを配るだけでもダメ。やはりそれを「一緒に食べる」というところまで完遂して初めて、文字通りその人の存在感がメンバーの「血肉となる」のだと思います。
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現代の政治家は狩猟時代のリーダーと違って、ご馳走を参加者に振る舞えるわけではありませんが、やはり美味い店を紹介したとか豪華メンバーを一同に揃えさせたとか、会食の場で権力を誇示・維持することはやはり重要なのではないでしょうか。
とはいえ!!
今はそれを政治家が特にやってはいけない時期。会食の場で威光を輝かせていた政治家ほど、それを中断することには潜在的な恐怖が半端じゃないのでしょうし、同調圧力もあるかと思いますが、
「他の同業者(政治家)も同じ条件・環境でやっているんだから」
と自分を納得させてもらうしかありません。
そういう意味では、「抜け駆け」して会食を繰り返そうとする政治家をメディアが報じることは、ある種の「抑止力」につながって社会的意義があるのかもしれませんね。
大変な年の瀬でありますが、年末の深夜まで特別警戒を続けてくださっている消防団の皆さまに、ご挨拶まわりを短時間&少人数で。多くの行政機関が休みになる年末、御用聞きに回りつつ、有事の際に役立てるよう我々も臨戦体制で年末を過ごします。 pic.twitter.com/Mk09sh19l6
— 音喜多 駿(参議院議員 / 東京都選出) (@otokita) December 30, 2020
政治家として過ごし方が難しい年末ですが、感染症対策を徹底しつつ、少しでもお役に立てるよう残り1日も活動して参ります。
それでは、また明日。