核廃絶の声を、道内すみずみから

 個人・団体や業者のみなさんへ、あいさつにまわっています。「今度こそですね」「大軍拡を許さない選挙に」など激励や要望も。くらしや商売の現状が切実なだけに、その願いに応える議席を回復しなければ。

 写真は「北海道生活と健康を守る会」でのもの。せっかくなのでと、同じ建物内にあるダリアの郷支援センター利用者さんにもあいさつ。私を知ってくれている方が「がんばって」と、大きな拍手をくださってありがたかったです。

 今日は北海道ノーモアヒバクシャ会館に足を運ぶと、ちょうど会議のため来られていた被爆二世・松田ひとえさん(旭川市)からも話をうかがえました。松田さんは被爆した両親が北海道に逃れ、紋別市で育ちました。同じく被爆した叔母さんの活動に影響を受けて語り部の活動を始め、道被爆者協会の「被爆二世プラスの会」も担われています。

 二世とはいえ被爆していないもと、松田さんは実際に広島へ行って「ここで多くの方が亡くなった」現実を前に、語り部活動に踏み出したと言います。シャンソン歌手でもある松田さんは、歌も通して平和や核廃絶を訴えています。

 G7サミットは開催地が被爆地・広島でありながら、核抑止力論を確認しあうという本末転倒ぶりでした。ロシアへの非難は当然ですが、これでは悪循環となりはしないのでしょうか。核兵器をなくす本気の努力こそ、求められているはずです。

 被爆者が不満や批判の声をあげるのは当然です。被爆者の願いは、あの苦しみをくりかえしてはいけない、残虐な核兵器はなくしてほしいということなのですから。松田さんからも、もっと各国首脳には被害の実態を見聞きしてほしかったとの話がありました。

 ノーモアヒバクシャ会館は、広島・長崎に次ぐ全国3番目の原爆資料展示館。しかも初めての民間立で、会館建設のレンガを500円で買ってもらう「レンガ募金」を通じて建設できたのでした。「被爆者が気兼ねなく話せる、いこいの家がほしい」との願いが出発点でした。

 広島・長崎から遠く離れた北海道に被爆者が多いのは、松田さんのご両親のような避難や「新天地」を求めて来られた方のほか、北海道からの志願兵・徴集兵、戦後開拓で渡ってきた方などがいるからです。

 被爆への無理解や差別があるもとで、この方々が勇気を出して声をあげ、北海道での被爆者運動を築いてきました。その歴史の積み上げがノーモアヒバクシャ会館なのです。核廃絶へと、道内すみずみからの世論にしていきたいと、私もがんばる決意を述べました。

 ところで写真の奥に見える、綿で作ったきのこ雲などの被害ジオラマは昨年、札幌東陵高の15人が作成したもの。身近な町の被害に置き換えることで、原爆の恐ろしさを学んできたといいます。次の世代に引き継ぐ活動も、いっしょに進めていきたい。

 【今日の句】脅し合う 世界を変えよう 日本から
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畠山和也
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