政府とメディアの関係など

 石破 茂 です。
 放送法についての総務省の文書が捏造か否かについて知る由もありませんが、あの議論があったとされる当時、政府とメディアとの関係は微妙なものがあったように思います。「時事放談」(TBS系列)や「週刊ニュース新書」(テレビ東京系列)などの、歯に衣着せぬ、時には政権に批判的な論者を起用していた対談番組が相次いで姿を消し、その後の番組は旅行やグルメなどの無難なものになっていきました。日曜早朝の番組でしたからそう高い視聴率が取れたものではなかったと思いますが、ゴルフに出掛ける前の壮年層など、一定の固定視聴者が存在し、商業的にはそれなりに成り立っていると聞いていたので、番組の打ち切りに違和感を覚えたことを憶えています。

 

 小泉内閣や福田内閣で防衛庁長官、防衛大臣を務め、有事法制やイラク派遣、テロ特措法の延長など、世論の批判の強い政策を担当していた頃、「筑紫哲也のニュース23」等の政府に批判的な番組になるべく出るように心がけていたのは、フジテレビの「報道2001」など政府の政策に理解のある層が視ている番組に出ているだけでは国民的な支持は拡がらず(勿論依頼があれば出演していましたが)、批判的な層が視ている番組にこそ出なければならないと思ったからに他なりません。

 

 メディアと権力との闘争を描いた五木寛之氏の「樹氷」(1970年)の中に、「僕はテレビからドキュメンタリーや報道番組が消えて、クイズ番組と歌謡ショウだけになっていくことに反対なんだ。どんなに視聴率が取れてもそれはテレビの荒野だ」というような主人公(テレビディレクター)の台詞があったことを記憶しています。もう半世紀も前の作品ですが、権力とメディアが癒着した時、民主主義も、国の命運も誤る、というのは昔も今も変わらないようです。
 昨年の「安保三文書」の内容には評価されるべき点が多々ありますが、策定の際に政府に設けられた「国力としての防衛力を総合的に考える有識者会議」に、テレビや新聞などの大手メディアの経営や論説のトップが名を連ねていたことには、正直驚きと戸惑いを強く感じたものでした。
 政府や党で役職を務めていると、「どうして新聞やテレビはこんなことを書いたり放送したりするのだろう」と慨嘆、憤慨することも多々ありますが、一歩引いて考えれば、権力を振りかざして言論を統制するよりも報道の自由があった方が、よりよい社会、よりよい政治がつくれるのだと思います。だからこそ、立法や行政の側が「マスコミは偏向していて怪しからん、もっと公正な報道をするように指導すべきだ」と言い出すのは、気持ちとしてはわかりますが、実際には重々抑制すべきことなのでしょう。公共放送はさておき、商業報道はメディア自体よりもスポンサーの問題も大きいのではないでしょうか。

 

 ガーシー(東谷義和)参院議員の除名について、我々衆院議員がとやかく言うべきものではありませんが、「登院しない」ことを公言し、これを是として29万票に近い有権者が投票し、当選した議員を除名することについては、どこか釈然としないところがありました。しかし、国会議員は憲法第43条(「両議院は、全国民を代表する選挙された議員でこれを組織する」)に定められる通り、実際に票を投じた有権者のみの代表ではないのですから、登院し、意見を述べ、採決に参加するという「全国民に対する責務」を果たさない以上、国会に籍を置くのは相応しくない、ということになるのでしょう。「NHKから国民を守る党」「NHK受信料を支払わない国民を守る党」などという党名も随分とふざけたものでしたが、今度は「政治家女子48党」を名乗るそうです。ここまで来るととても理解は出来ませんが、民主主義とは、多くのリスクを抱えているものなのだと改めて思います。

 

 昨9日夕刻は、浜松市での企業・団体集会に出席し、短い講演をしてまいりました。浜松市、と言えば浜名湖→鰻→うなぎパイ→浜松餃子、という実に貧困な連想しかできなかったのですが、調べてみればみるほどに興味の尽きない街です。
 地方創生大臣当時、総務省から内閣府に出向して秘書官として支えてくれた、浜松市長選候補予定者の中野祐介氏も、随分と演説が上手くなり、飾ったり、大言壮語するのではなく、人柄そのままの演説からは誠意と熱意が伝わってきました。支援の輪がさらに大きく広がることを願っております。

 

 今週後半の都心は、春を通り過ぎて初夏の趣すら感じられる暖かさでした。
 皆様、ご健勝にてお過ごしくださいませ。

 

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石破茂
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